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本多正氏 : ミニ英和和英辞書
本多正氏[ほんだ まさうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

本多正氏 : ウィキペディア日本語版
本多正氏[ほんだ まさうじ]
本多 正氏(ほんだ まさうじ、元亀元年(1570年) - 文禄4年8月24日1595年9月27日))は、安土桃山時代武将。通称は平四郎。
元亀元年(1570年)、本多正重の長男として生まれる。天正16年(1588年)から徳川家康の近習として仕え、陸奥九戸政実攻め、朝鮮出兵における肥前名護屋城詰めなどに随従した。しかし文禄元年(1592年)、徳川家から出奔している。理由は諸説あって定かではないが、父と同じようにその頑固な性格を疎まれたためとされている。
その後、羽田正親と懇意になり、正親が豊臣秀次の重臣だったことから、その推挙を受けて秀次の重臣となった。文禄4年(1595年)、秀次事件により秀次が自害すると、正親と共に殉死した。享年26。
== 関連項目 ==

*本多氏

category:戦国武将

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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