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本多 正純(ほんだ まさずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府の老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の長男で正信系本多家宗家2代。 徳川家康の側近として権勢を誇ったが、徳川秀忠の代に失脚した。 == 生涯 == === 関ヶ原まで === 永禄8年(1565年)、本多正信の嫡男として生まれる。当時、正信は三河一向一揆で徳川家康に反逆し、それによって三河国を追放されて大和国の松永久秀を頼っていたとされるが、正純は大久保忠世の元で母親と共に保護されていたようである。 父が徳川家康のもとに復帰すると、共に復帰して家康の家臣として仕えた。父と同じく智謀家であったことから家康の信任を得て重用されるようになり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは家康に従って本戦にも参加している。戦後、家康の命令で石田三成の身柄を預かっている。また、父・正信とともに徳川家の後継者候補に結城秀康の名を挙げて、これを推挙している(「大久保家留書」)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多正純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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