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本多 正訥(ほんだ まさもり〔)は、幕末・明治維新期の大名。駿河国田中藩第7代藩主、安房国長尾藩初代藩主(知藩事)。正重系本多家12代。 == 生涯 == === 明治維新まで === 田中藩第5代藩主本多正意の七男〔(六男とも)として生まれる。 安政3年(1856年)12月22日、兄正寛の養子となる。安政4年(1857年)11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下伯耆守に叙任する(後に紀伊守に改める)。万延元年(1860年)閏3月16日、正寛の死去を受けて家督を継ぎ〔、田中藩第7代藩主となる。 文久2年(1862年)11月4日、新設された学問所奉行の一人に就任する(相役は秋月種樹)。元治元年(1864年)7月21日、駿府城代に就任。戊辰戦争中の慶応4年(1868年)2月12日、尾張藩が派遣した勤皇誘引使都筑九郎右衛門に勤皇証書を渡して、駿府城引渡しに同意した。徳川宗家当主徳川家達が駿河国・遠江国に移されると(静岡藩)、6月13日に家達に駿府城を引き渡す。また徳川家の静岡入封にともない、田中藩4万石には新政府から安房国・上総国に4万石の代替地を与えられ、同年7月13日移転を命じられた(長尾藩)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多正訥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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