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本多正訥 : ミニ英和和英辞書
本多正訥[ほんだ まさもり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

本多正訥 : ウィキペディア日本語版
本多正訥[ほんだ まさもり]

本多 正訥(ほんだ まさもり〔)は、幕末明治維新期の大名駿河国田中藩第7代藩主、安房国長尾藩初代藩主(知藩事)。正重系本多家12代。
== 生涯 ==

=== 明治維新まで ===
田中藩第5代藩主本多正意の七男〔(六男とも)として生まれる。
安政3年(1856年)12月22日、兄正寛の養子となる。安政4年(1857年)11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下伯耆守に叙任する(後に紀伊守に改める)。万延元年(1860年)閏3月16日、正寛の死去を受けて家督を継ぎ〔、田中藩第7代藩主となる。
文久2年(1862年)11月4日、新設された学問所奉行の一人に就任する(相役は秋月種樹)。元治元年(1864年)7月21日、駿府城代に就任。戊辰戦争中の慶応4年(1868年)2月12日、尾張藩が派遣した勤皇誘引使都筑九郎右衛門に勤皇証書を渡して、駿府城引渡しに同意した。徳川宗家当主徳川家達駿河国遠江国に移されると(静岡藩)、6月13日に家達に駿府城を引き渡す。また徳川家の静岡入封にともない、田中藩4万石には新政府から安房国上総国に4万石の代替地を与えられ、同年7月13日移転を命じられた(長尾藩)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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