翻訳と辞書
Words near each other
・ 本多正氏
・ 本多正永
・ 本多正温
・ 本多正珍
・ 本多正矩
・ 本多正納
・ 本多正純
・ 本多正訥
・ 本多正貫
・ 本多正賢
本多正重
・ 本多氏
・ 本多治見駅
・ 本多洋
・ 本多流
・ 本多流生弓会
・ 本多淳亮
・ 本多熊太郎
・ 本多犬千代
・ 本多猪四郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

本多正重 : ミニ英和和英辞書
本多正重[ほんだ まさしげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

本多正重 : ウィキペディア日本語版
本多正重[ほんだ まさしげ]

本多 正重(ほんだ まさしげ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将大名下総舟戸藩主。名前と経歴が良く似た本多政重は甥に当たる。
== 生涯==
天文14年(1545年)、本多俊正の四男として生まれる。兄正信と共に松平家康の家臣として仕えていたが、永禄6年(1563年)の三河一向一揆では一揆方の武将として兄と共に家康に敵対した。しかし永禄7年(1564年)に一揆が鎮圧されると家康に帰参した。その後は徳川家の武将として、遠江掛川城攻めをはじめとして、元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の武田信玄との一言坂の戦い三方ヶ原の戦いでは殿軍を務めて武功を挙げた。天正3年(1575年)の長篠の戦いにも参加して武功を挙げた。
ところがその直後に徳川家から出奔して浪人となり、滝川一益に仕えて播磨神吉城攻めに参加している。そして一益のもとを去って前田利家に属して佐々成政と戦い、武功を挙げたが、前田家から去って会津に移った蒲生氏郷に仕えた。しかし文禄4年(1595年)に氏郷が死去すると、蒲生家でお家騒動が発生したため、蒲生家から去った。そして慶長元年(1596年)に徳川家に帰参している。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは検使を務めた。その功により家康から慶長7年(1602年)に近江国坂田郡内に1,000石を与えられた。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川秀忠に属して、参謀として功を挙げた。その功により、元和2年(1616年)7月に下総国相馬郡舟戸に1万石を与えられ、大名となった。
翌年の元和3年(1617年)7月3日に死去。享年73。長男の正氏は秀次事件で殉死し、次男の正包も早世していたため、外孫で養子の正貫が後を継いだ。しかし正重の死後、2,000石を削減されたため、舟戸藩は正重1代のみで消滅してしまった。減封は正重の遺言と言われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多正重」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.