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本多熊太郎 : ミニ英和和英辞書
本多熊太郎[ほんだ くまたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 

本多熊太郎 : ウィキペディア日本語版
本多熊太郎[ほんだ くまたろう]

本多 熊太郎(ほんだ くまたろう 明治7年(1874年12月8日 - 昭和23年(1948年12月18日)は、明治大正昭和外交官太平洋戦争時の中華民国大使東條内閣の外交顧問。戦後はA級戦犯として逮捕された。
== 来歴・人物 ==
東京法学院(中央大学)法科在学中の明治27年(1894年)5月に外務省留学生試験合格、翌年の明治28年(1895年)8月に外務省書記生試験(専門職)に合格し、外務省入省。明治34年(1901年)、小村寿太郎外相の秘書官となり、日露戦争ポーツマス講和会議に随行。後藤新平の満鉄総裁当時、北京公使館の二等書記官となった。大正7年(1918年)、スイス公使、大正13年(1924年)からドイツ大使を務めて退任。ドイツ大使を務める間、欧州統合論の主導者クーデンホーフ=カレルギー伯と親交を結び、伯の論評を読んで報告を上げてきた外交官永富守之助(戦後自民党議員)に伯を紹介した〔; 戸澤 『RCK通信』〕。
昭和15年(1940年)、松岡洋右外相に起用されて汪兆銘政権下の南京に中国大使として赴任。昭和19年(1944年)に東條内閣の外交顧問に就任。
昭和20年(1945年)12月、連合国より第三次戦犯指名され、A級戦犯として逮捕され巣鴨刑務所に収監。その後、病気により釈放。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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