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本多辰次郎 : ミニ英和和英辞書
本多辰次郎[ほんだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

本多辰次郎 : ウィキペディア日本語版
本多辰次郎[ほんだ]

本多 辰次郎(ほんだ たつじろう、明治元年4月15日1868年5月7日) - 1938年昭和13年)7月8日)は戦前日本歴史学者山形県立山形中学校長、宮内省臨時帝室編修局御用掛、法政大学立教大学講師。
== 経歴 ==
明治元年(1868年)4月15日愛知県海部郡津島町に七里長兵衛の次男として生まれた。1886年(明治19年)上京して浅草区小島町に住み、大谷教校に通ったが、同年高等科が京都に移転したため、共立学校に入学した。1889年(明治22年)第一高等中学校、1895年(明治28年)東京帝国大学国史科、1898年(明治31年)帝国大学大学院に進んだ。
1898年(明治31年)本多正開の養子となり、1902年(明治35年)家督を相続した。1903年(明治36年)5月山形県立山形中学校教諭心得、12月校長となり、1908年(明治41年)2月22日辞職した。
1908年(明治41年)2月24日宮内省図書寮に出仕、5月図書課長、1914年(大正3年)編修課長となり、1915年(大正4年)3月昭憲皇太后実録編修主任を任された。1924年(大正13年)9月15日「徳川時代ニ於ケル山陵修築」で文学博士。1926年(大正15年)6月3日臨時帝室編修局御用掛となって『明治天皇紀』編纂に携わり、1933年(昭和8年)完成し、7月29日免職となった。8月24日正四位勲三等
1933年(昭和8年)9月法政大学立教大学講師となり、9月24日から10月28日まで華北塘沽天津北平満州国大連旅順撫順奉天新京吉林朝鮮平壌京城金剛慶州を旅行した。
1936年(昭和11年)9月体調不良により大学を辞職し、1937年(昭和12年)10月18日長男正一に家督を譲り、自身は娘親子、久子と大森区久ヶ原町913番地に分家した。1938年(昭和13年)5月胃腸を患い病床に伏し、7月8日午前9時20分死去した。10日自宅で葬儀が行われた。法名は真知院釈成覚。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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