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本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の〔大久保正 「本居宣長」 〕にて門人を集め講義をしたことからと呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「」の一人とされる。 == 概要 == 契沖の文献考証と師・賀茂真淵の古道説を継承し〔師・真淵との関係では「後によき考への出できたらんには、必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそ」と言い、師の教えを仰ぎながらも良いと適ったことは遠慮なく主張したという。〕、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。宣長は、真淵の勧めで、当時既に解読不能に陥っていた『古事記』を研究して解読に成功し、約35年を費やして『古事記』註釈の集大成である『古事記伝』を著した〔。『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、国学の源流を形成してゆくこととなった。 本居宣長は、『源氏物語』の中にみられる「もののあはれ」という日本固有の情緒こそ文学の本質であると提唱し、大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な儒教の教え(「漢意」)を自然に背く考えであると非難し〔儒教を体系化した孔子その人には好意的であり、「聖人と人はいへども聖人のたぐひならめや孔子はよき人」という歌を詠んでいる〕、中華文明を参考にして取り入れる荻生徂徠を批判したとされる〔一方で、徂徠の学問の方法論である古文辞学からは多大な影響を受けていることも指摘されている。〕。 また、本居宣長は、提言を行っている。紀州徳川家に贈られた「玉くしげ別本」の中で「定りは宜しくても、其法を守るとして、却て軽々しく人をころす事あり、よくよく慎むべし。たとひ少々法にはづるる事ありとも、ともかく情実をよく勘へて軽むる方は難なかるべし」とその背景事情を勘案して厳しく死刑を適用しないように勧めている。 本居宣長の代表作には、前述の『古事記伝』のほか、『源氏物語』の注解『源氏物語玉の小櫛』、そして『玉勝間』、『馭戎慨言(ぎょじゅうがいげん)』〔杉戸清彬 「馭戎慨言」 〕などがある。 門下生も数多く『授業門人姓名録』には、宣長自筆本に45名、他筆本には489名が記載れている。主な門人として田中道麿、服部中庸・石塚龍麿・夏目甕麿・長瀬真幸・高林方朗(みちあきら)・小国重年・竹村尚規・横井千秋・代官の村田七右衛門(橋彦)春門父子・神主の坂倉茂樹・一見直樹・倉田実樹・白子昌平・植松有信・肥後の国、山鹿の天目一神社神官・帆足長秋・帆足京(みさと)父子・飛騨高山の田中大秀・本居春庭(宣長の実子)・本居大平(宣長の養子)などがいる。 また、平田篤胤らは、宣長の死後、弟子を自認し、その思想を継承している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本居宣長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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