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本居豊穎 : ミニ英和和英辞書
本居豊穎[もとおり とよかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [えい]
 【名詞】 1. awn 2. glume

本居豊穎 : ウィキペディア日本語版
本居豊穎[もとおり とよかい]

本居 豊穎(もとおり とよかい、天保5年4月28日1834年6月5日) - 大正2年(1913年2月15日)は、明治期に活躍した国学者本居宣長の義理の曾孫にあたり、紀州藩本居家の四世当主。幼名稲楠、通称中衛、和号秋屋。なお、生年は天保9年(1838年)説もある。
父は本居内遠、母は藤子。紀州和歌山に生まれる。弟に歌人・音楽家の荒巻利蔭、陸軍大佐の徳田正稔がいる。父が亡くなった後は、母の教導を得て家学を修め、紀州藩の藩学古学館江戸)の教授となる。
明治維新後はその家系を重んぜられて、神祇官に出仕した。教部省において神道大教正に進んだほか、国学者として東京帝国大学國學院東京女子高等師範学校などに講師として招かれた。大正天皇の皇太子時代には東宮侍講を勤め、御歌所寄人・1906年帝国学士院会員ともなる。また国学・和歌の興隆を願って大八洲学会を主宰した。明治42年(1909年)、業績により文学博士号を授与される。大正2年(1913年)、脳溢血のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)309頁〕。
男子に恵まれず、同じ国学者の松野勇雄を養子を迎えたが、不縁となり、孫の本居長世を後嗣とした。
豊穎の著書には、『古今和歌集』の注釈たる『打聴鶯蛙集』『古今集講義』、歌集『秋屋集』『秋屋集拾遺』、祭詞集『諄辞集』などがある。
== 栄典 ==

* 1913年(大正2年)2月15日 - 正三位旭日重光章〔『官報』第163号「叙任及辞令」1913年2月17日。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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