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松平 資俊(まつだいら すけとし)は、江戸時代前期の旗本、のち大名。常陸笠間藩第2代藩主、遠江浜松藩初代藩主。本庄松平家2代。 == 生涯 == 万治3年(1660年)、笠間藩主・本庄宗資の次男として生まれる。貞享元年(1684年)10月10日、寄合旗本となる。元禄4年(1691年)12月28日に従五位下・安芸守に叙位・任官される。元禄12年(1699年)、父の死去により家督を継いで笠間藩の第2代藩主となる。元禄14年(1701年)12月18日に従四位下に昇叙され、元禄15年(1702年)2月19日に侍従に任官する。9月12日に備中において2万石を加増されて7万石となった上で、遠江浜松に移封された。 宝永2年(1705年)3月23日に第5代将軍・徳川綱吉より松平姓を与えられた。そして豊後守、伯耆守へと遷任している。享保8年(1723年)7月14日に死去した。享年64。家督は正室の弟の資訓が継いだ。 なお、目立った功績もないのにここまで異例の出世を遂げたのは、父・宗資が綱吉の生母・桂昌院の異父弟であり、縁者による引き立てがあったためである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平資俊」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Matsudaira Suketoshi 」があります。 スポンサード リンク
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