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【名詞】 1. original stock =========================== ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 本木 : [もとき, もとぎ] 【名詞】 1. original stock ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber
本木(もとぎ又は、もとき)は、東京都足立区中部の地名、またはその前身である旧本木村の区域を含む周辺地域の総称。住居表示実施済みで本木一丁目・二丁目、ならびに本木東町、本木西町、本木北町、本木南町である。本項では以上の各町を含んだ区域を「本木」として記述する。 隣接する地域は、北は興野、東は関原、南は一級河川荒川を挟んで対岸に千住および小台、西は扇である。 == 地域 == 足立区中部、荒川堤防の北側に広がる、歴史の古い町である。1890年には荒川沿いに屠場が設けられ、そこに浅草から皮革業者が流入〔西井一夫『続・昭和二十年東京地図』p.67-72(筑摩書房、1987年)〕。1913年、荒川放水路の完成により、屠場は千住屠場(1913年4月開設、1937年1月、芝浦屠場への統合に伴い廃場)に吸収された〔川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.33(三一書房、1984年)〕。 その後、1923年の関東大震災で焼け出された浅草の業者の流入を含め、靴職人や草履職人の「靴屋長屋」が多数建設され、隣接する梅田地区と共にバタ屋・皮革業・在日朝鮮人の都市細民が集まる巨大スラムに発展。もともと本木や梅田では江戸時代から浅草紙の紙漉業が農家の副業として盛んだったため、バタ屋の移住はその原料入手に便利だとの理由で地元民の受け入れるところとなり、「一夜にしてバタ屋千軒」と呼ばれる状況が出現した〔川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.34(三一書房、1984年)〕。以後、1930年以降の昭和恐慌期から第二次世界大戦中にも貧民や被災民が多数流入し、今日に至る。不良住宅が大規模に密集しているため、1960年頃の「不良住宅調査」では「全国最大のスラム」と形容された。 街の中心を通る本木新道沿いには商店街が形成されているほか、古くからの工場や住宅も多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本木」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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