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本田路津子 : ミニ英和和英辞書
本田路津子[ほんだ るつこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ろ]
 【名詞】 1. road 2. street 3. path
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

本田路津子 : ウィキペディア日本語版
本田路津子[ほんだ るつこ]

本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年(昭和24年)1月6日 - )は、日本の元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。
福岡県大牟田市出身。
== 経歴 ==
福岡県大牟田市出身だが、その後、家族(当時両親、妹)と共に、新潟県に転居し、桜美林高等学校入学と同時に、東京都町田市に単身で転居。その後、桜美林大学に進学。
路津子の名前の由来は、両親がキリスト教徒であったので(本人は結婚するまでキリスト教徒ではなかった)、旧約聖書の「ルツ記(英語ではルース)」に出てくるボアズの誠実な嫁ルツからとったものと言われている。本来のキリスト教での表記は「路律」であるが、路律子ではあまりに難読となるため、路津子にした、とのことである。「路」の字は「路加(るか)(英語ではルーク)(ルカ記)」という読み方でも知られている。
桜美林大学文学部英文科卒業。在学時は聖歌隊に所属し、英字新聞編集活動にも参加。フランシス・ジェームズ・チャイルドのについての研究をしている。1970年9月1日ジョーン・バエズの『シルキー』を歌ってハルミラフォークコンテストに優勝し、CBSソニーから『秋でもないのに』でプロ歌手としてデビュー。
続いて『風がはこぶもの』、『ひとりの手』などのヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。『ひとりの手』は、の詩“One Man's Hands”にピート・シーガーがメロディをつけたもので、当時の反戦や人種差別撤廃を訴える歌になっており、日本語の歌詞は本田路津子自身が訳したもの。1976年に刊行された日本キリスト教団出版局の『ともにうたおう-新しい讃美歌50曲-』では、末節に讃美歌らしい歌詞が付け加えられ、34番として所収されている。。
当時はフォーク界でのジョーン・バエズの影響は大きく、本田路津子もその状況下で活動していた訳だが、普段控えめな彼女が、ジョーン・バエズから受けた影響について聞かれたときに、「いえ、私が尊敬するのは、です」と語ったと言われている。デビューのきっかけとなった曲が、ジュディー・コリンズのという説もあるが、オークニーに伝わる『スール・スケリー島の大アザラシ』という伝承歌を、フランシス・ジェームズ・チャイルドが自身のバラッド集に収めたもので、ジョーン・バエズの『シルキー』と同一である。
ハルミラフォークコンテストでは、たまたま優勝するのを見ていた六文銭小室等が、当時新進のレコード会社であったCBSソニーの若き社長に紹介し、彼女の歌うのを聴いて「全身が震えた」社長は、その場で契約したということである。この逸話は、英国ウェールズ出身のメリー・ホプキンがTVのタレント発掘番組「Opportunity Knocks」で優勝し、それを見ていたモデル歌手女優のツイギービートルズポール・マッカートニーに紹介した話を思い出させるものである。また、所属事務所のミュージカル・ステーションも、当時新しい姿の音楽事務所であった。
デビュー曲の『秋でもないのに』は、ハルミラフォークコンテストのときに審査員をしていたギタリストの石川鷹彦の持ち歌で、もともと男言葉で書かれていた詩を女性用に書き直したものである。石川は、コンテストのときに彼女にあまり良い点をつけなかったそうで、このことは後になっても、本人から「石川先生は、あのとき良い点をつけてはくださらなかったんですよね」と言われることとなった。
1972年連続テレビ小説藍より青く』の主題歌『耳をすましてごらん』でお茶の間にも親しまれ、NHK紅白歌合戦にも2回出場(第23回NHK紅白歌合戦で本曲を歌った)している。なお『耳をすましてごらん』は、1990年アイドル歌手南野陽子がシングル曲としてカヴァーし、ヒットさせている。1972年NHKみんなのうた」で小犬のプルーが、1974年には今日の日はさようならが放送された。
一方、テレビCMでは、『三ツ矢サイダーシルバー(♪遠くへ行きたいな?)』、『HOYA眼鏡(♪あなたのことは?)』、『トワイニング紅茶(♪アイスティーを作るなら?)』を手がけている。
また、ラジオでは、せんだみつおの司会で『ポケットいっぱいフォーク』という番組に出演していた。
1975年に結婚を理由に引退し渡米した。その「さよならコンサート」では、アンコールなしで公で歌う最後の曲として、『至上の愛』(ジュディー・コリンズのアメイジング・グレイス)を熱唱。自ら、キリスト教に帰依する覚悟を明かした。1988年帰国して以来、国内外の教会のコンサートなどで神の愛を歌い、賛美歌の歌い手として活躍している。
2001年度には第4回ゴスペルCCM賞大賞のアーティスト部門・アルバム部門と国際ソロプチミスト賞(福岡-東)を受賞している〔ゴスペル・インフォメーション・データ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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