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本質主義(ほんしつしゅぎ、)とは、本質(事物の変化しない核心部分)を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその本質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えをいう。 さらに具体的に、社会科学や政治的な議論において、一定の集団やカテゴリーに、超時間的で固定的な本質を想定する立場を指していうことが多い。 事物とその本質との関係は客観的で固定的なものであり、個物は本質の派生物、あるいは複製としての側面を持つものとみなされる。 また、すくなくとも論理的な順序としては、本質が現実存在に先立つものとされ、本質が現実存在から事後的に抽出・構成されるとは考えない。事物とその本質との関係はアプリオリなものであるから、事物が現実に存在する文脈からは独立しており、その事物がその事物である限り、その本質は同一不変であるとみなされる。 ==概要== 本質主義においては、もののありようは、この必然的かつ恒常的な要素である本質によって決定されるものだと考えられ、そのものを理解し、記述する上では、これらの特定の属性や要素のみが特権的な考慮の対象となり、「非本質的」要素は偶発(アクシデンタル=偶有・偶然)的なものとして軽視、あるいは無視される。 本質主義の想定においては、対象の属性は、本来的な(そしてしばしば理想的な、真の)属性、要素である本質と、その本質を覆い隠し、汚染する付帯的な要素によって階層的かつ二極的に理解される。(このもっとも古典的な範例がイデア論である) 社会科学における社会構築主義との対比でいえば、本質主義は、社会的経験を構成する諸々の事物、カテゴリー(のうち少なくとも一定の基本的なもの)には、特定の社会や時代、特定の社会的状況・文脈を越えた本質が存在し、社会状況によって本質以外の部分の変化はありうるものの、その本質は不変であるのであって、またそうした事物は社会によって構成されたものではなく、自体的な実在性をもつ実体である、とみなす考え方である。(これは、社会を分析するにあたって社会を外から独立項として規定する実体を仮定できなければ、分析が恣意的になりすぎるという構築主義への批判と関連する。) 本質主義は、固定的な本質の存在や、本質によって事物が基礎的に規定されるという考えを否定する、非本質主義(non-essentialism)と対立する。非本質主義や相対主義の立場からは、本質や必然的な共通要素は、対象が、その対象として選別・分類される際に機能している実効的な分類・選別行為によって、事後的に規定されるものであるとみなされる。この場合、選別・同定行為は、想定された本質や典型的な既存の事例によって制約を受けるものの、それだけでは分類基準は十全には規定されず、分類や選別行為そのものが規則や想定された本質を定立する機能を持つ。(ウィトゲンシュタインのルールに適用に関する無限後退の議論を参照のこと。ルールの適用のためのルールという形で、どこかで十全にルールには規定されない飛躍が、ルールの実行には介在せざるを得ない)すなわち、中心は境界(ボーダー)によって決定される。 これに対し、伝統的な強い本質主義の場合、本質は、単なる共通要素や、分類基準ではなく、存在論的な決定要因である。したがって、この場合は、中心によって境界(ボーダー)が決定される。いいかえればこの場合、外延的な分類基準は、本質によって決定され、その正しさ、正確さが本質を基準として判断されることになる。 本質とは、必然性だけではなく、中核的な規定要因であるという含意、あるいはさらにすすんで「本来の・あるべき」という価値判断をともなう概念であり、定義によって導入されたカテゴリーならばともかく、日常言語に於ける経験的な範疇(「女性」「日本人」「田舎」等)において、一定の選び出された一般的共通要素のセットを本質として提示する行為は、ほぼ必然的に、政治的・思想的な含意を強く持たざるを得ない。 本質は、対象の同定のされ方や切り取られ方、グルーピングによって左右されないという想定は重要である。本質主義においては、本質とされる特性の集合は、実在的な対象自体の属性の階層性・秩序を反映していなければならない。(すなわち、本質的属性・非本質的属性の間の差異が、認識から独立して対象の側に実在していなければならない)原則として、本質主義の立場からは、本質は意味分析によって導かれる操作的な概念ではなく、何らかの実在的な実体を持つ存在である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本質主義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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