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本間玄調 : ミニ英和和英辞書
本間玄調[ほんま げんちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
調 : [ちょう]
 【名詞】 1. (1) pitch 2. tone 3. (2) time 4. tempo

本間玄調 : ウィキペディア日本語版
本間玄調[ほんま げんちょう]
本間 玄調(ほんま げんちょう、文化元年(1804年) - 明治5年2月8日1872年3月16日))は、幕末水戸藩医である。通称は資章、字は和卿、号は棗軒。のちに救。
== 生涯 ==
常陸国小川村(現在の茨城県小美玉市)に生まれた。父本間玄有と祖父本間玄琢は稽医館の創始者で、養父道偉も医者であり、名医一族の中で育った。17歳のとき、原南陽に入門し、その後、杉田立卿華岡青洲シーボルトなどに師事した。漢洋折衷の学識と医術で稽医館の晩年を飾り、水戸弘道館医学館教授となってからは、講義・治療・著述などに活躍し、水戸藩医政の第一線を担った。多くの人命を救ったことから徳川斉昭より救という名を賜った。
華岡青洲の門下としてはもっとも優れた外科医であったとされ、医術についての著作を残しているが、それにおいて青洲から教わった秘術を無断で公開したとして、破門されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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