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本間 聡(ほんま さとし、1968年5月19日 - )は、日本の男性総合格闘家。新潟県新潟市出身。正道会館所属。 == 来歴 == 少年時代からプロレスファンで、大学進学後に修斗入門。 1990年5月、富士豊戦でデビュー。川口健次、山田学らと共にライトヘビー級で試合を重ねた。 1992年11月に行なわれた川口とのライトヘビー級チャンピオンシップは一方的に追い込むがドロー裁定に終わり、観客からの不服の声に創始者の佐山聡が「私が見ても誰が見ても本間選手の勝ち」と発言したが、その後確約された川口へのタイトル挑戦が実現せずに修斗を離脱。平直行が所属するゼンショー総合格闘技部へ移籍、リングスを主戦場とする。 1994年には平と共にゼンショー総合格闘技部を離脱、正道会館系のフリーとなった。リングスとK-1で2度に渡って行なわれた成瀬昌由戦ではそれぞれ勝利を収めた。1995年1月にはトーワ杯カラテジャパン・オープンにも出場、重量級で3位入賞。 1995年12月にK-1で行なわれたアルティメット特別ルールでレネ・ローゼに一方的に敗戦し、しばらく試合から遠ざかるが、1998年10月に3年ほどの沈黙を破ってPRIDE.4に出場。プロレスラーの佐野友飛(当時高田道場所属)にTKO勝ちし復活をアピールしたものの、翌年開催のPRIDE.5ではフランシスコ・ブエノにTKO負け、以後リングスでリー・ハスデルとドローなど精彩を欠き、2000年4月14日に日本で開催されたUFC 25でのロン・ウォーターマン戦を最後に引退、故郷の佐渡へと戻った。 2004年7月にはZSTのジェネシスバウト(アマチュアマッチ)に出場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本間聡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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