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札幌スキー場(さっぽろスキーじょう)は北海道札幌市南区藻岩山にかつて存在したスキー場である。同じく藻岩山に存在する札幌藻岩山スキー場とは別物である。 == 概要 == 札幌スキー場は、昭和 21年(1946年)、日本で初めてのリフトを備えたスキー場として、北海道札幌市南区にある藻岩山(もいわやま)に開かれた。日本初のスキーリフトとされることの多い志賀高原丸池スキー場のリフトは昭和22年(1947年)1月20日に試運転をしている〔http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki23/index-j.html〕。札幌スキー場はその前年、12月24日に試運転をしており、〔http://www.ipej-hokkaido.jp/ch/ch112/p039.pdf〕札幌スキー場のリフトの方が一月ほど早く稼働している。 札幌スキー場は、進駐軍専用として開かれたものであり、原則として日本人は使用することができなかった。(プロスキーヤーの三浦雄一郎は、当時「私は学生で通訳ができる」と言っては札幌スキー場のリフトに乗ったと語っている)〔http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki23/index-j.html〕札幌スキー場は、藻岩山の北東斜面に開かれており、現在の藻岩山市民スキー場とは違う斜面であった。現在も慈恵会入り口より藻岩山への登山道途中に第1リフト降り場のコンクリート礎石が残されている。(通称「砲台跡」と呼ばれている箇所である) 第1リフトの他に、第1リフト降り場から山頂へ向けた第2リフト、トボーガン(ボブスレー)コース、20m級シャンツェ、将校用及び下士官用のロッジなどが建設され、総合スキー場の体をなすものであった。工事の設計・監督は堂垣内尚弘(後の北海道知事)が行い〔http://www.jiti.co.jp/graph/int/7dougaki/7dougaki.htm〕、安全索道(株)が施工している〔http://www.ansaku.co.jp/company/index2.html〕。 札幌スキー場は、進駐軍撤退の後もしばらくの間は市民スキー場として使われていた。昭和33年(1958年)2月の第13回国体スキー大会でスラーロームのコースとして使用されたのを最後として、自然保護を図るため使用禁止となり、天然林による自然回復を図っている。コース跡は長らく、札幌市街地から見えていたが、現在では樹木に覆われ、判別は難しい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「札幌スキー場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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