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札幌テレビ塔 : ミニ英和和英辞書
札幌テレビ塔[さっぽろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふだ]
 【名詞】 1. (1) token 2. label 3. (2) ticket 4. card 5. (3) charm 6. talisman 
テレビ塔 : [てれびとう]
 (n) TV tower
: [とう]
  1. (n,n-suf) tower 2. pagoda 

札幌テレビ塔 ( リダイレクト:さっぽろテレビ塔(さっぽろテレビとう)は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。総工費1億7000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲。== 歴史 ==1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。しかし1956年(昭和31年)にHBCが手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'・NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合・Eテレ・FM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。「最初は赤くなかった「テレビ塔」(札幌・大通) 」ブラサトル2011年(平成23年)12月18日2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、正面より向かって右付近に存在する緑色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。File:STV 1961.JPG|1961年(昭和36年)ごろのさっぽろテレビ塔(左端)。札幌テレビ放送(STV)の旧放送会館が近隣にあり、親局送信所として稼動していた。時計はまだ設置されていないFile:Sapporo TV Tower in the snow.jpg|2006年の改修工事前。広告表示が「National」になっている〔2004年(平成16年)12月〕File:Sapporo TV Tower 20081223.JPG|現在のテレビ塔。広告表示が「Panasonic」になっている〔2008年(平成20年)12月〕File:View of Sapporo TV Tower from Odori Park(2011).JPG|冬のさっぽろテレビ塔と大通公園〔2011年(平成22年)1月〕File:Sapporo TV Tower and Odori park.JPG|夜のさっぽろテレビ塔と噴水〔2012年(平成23年)9月〕 ) : ウィキペディア日本語版
さっぽろテレビ塔(さっぽろテレビとう)は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。総工費1億7000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲。== 歴史 ==1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。しかし1956年(昭和31年)にHBCが手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'・NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合・Eテレ・FM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。「最初は赤くなかった「テレビ塔」(札幌・大通) 」ブラサトル2011年(平成23年)12月18日2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、正面より向かって右付近に存在する緑色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。File:STV 1961.JPG|1961年(昭和36年)ごろのさっぽろテレビ塔(左端)。札幌テレビ放送(STV)の旧放送会館が近隣にあり、親局送信所として稼動していた。時計はまだ設置されていないFile:Sapporo TV Tower in the snow.jpg|2006年の改修工事前。広告表示が「National」になっている〔2004年(平成16年)12月〕File:Sapporo TV Tower 20081223.JPG|現在のテレビ塔。広告表示が「Panasonic」になっている〔2008年(平成20年)12月〕File:View of Sapporo TV Tower from Odori Park(2011).JPG|冬のさっぽろテレビ塔と大通公園〔2011年(平成22年)1月〕File:Sapporo TV Tower and Odori park.JPG|夜のさっぽろテレビ塔と噴水〔2012年(平成23年)9月〕[とう]

さっぽろテレビ塔(さっぽろテレビとう)は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。総工費1億7000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した〔。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲
== 歴史 ==
1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。
しかし1956年(昭和31年)にHBC手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合EテレFM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。
1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。
鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。〔「最初は赤くなかった「テレビ塔」(札幌・大通) 」ブラサトル2011年(平成23年)12月18日〕
2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。
完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、正面より向かって右付近に存在する緑色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。
今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。

File:STV 1961.JPG|1961年(昭和36年)ごろのさっぽろテレビ塔(左端)。札幌テレビ放送(STV)の旧放送会館が近隣にあり、親局送信所として稼動していた。時計はまだ設置されていない
File:Sapporo TV Tower in the snow.jpg|2006年の改修工事前。広告表示が「National」になっている〔2004年(平成16年)12月〕
File:Sapporo TV Tower 20081223.JPG|現在のテレビ塔。広告表示が「Panasonic」になっている〔2008年(平成20年)12月〕
File:View of Sapporo TV Tower from Odori Park(2011).JPG|冬のさっぽろテレビ塔と大通公園〔2011年(平成22年)1月〕
File:Sapporo TV Tower and Odori park.JPG|夜のさっぽろテレビ塔と噴水〔2012年(平成23年)9月〕


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「さっぽろテレビ塔(さっぽろテレビとう)は北海道札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある電波塔である。総工費1億7000万円で1957年(昭和32年)に完成し、同年8月24日に開業・電波の発射を開始した。高さ147.2メートル。設計者は内藤多仲。== 歴史 ==1957年(昭和32年)に完成した当初はNHK札幌放送局および札幌テレビ放送(STV)の電波発信塔としての役割を担っていた。1956年(昭和31年)12月22日には開業に先駆けて完成した塔体からNHKがテレビ放送の電波を、開業後の1959年(昭和34年)4月1日にはSTVがテレビ放送の電波を発射し始めた。しかし1956年(昭和31年)にHBCが手稲山を開拓して送信所を設置しテレビ塔より広いサービスエリアを構築してからはNHKが1962年(昭和37年)5月27日に、STVが1969年(昭和44年)1月19日に手稲山に移り、STVが移った時点で全てのテレビ送信所が手稲山に一本化された。現在はNHK-FM・AIR-G'・NORTH WAVEのFM各局の中継局施設(札幌大通中継局)とNHKの予備送信所(総合・Eテレ・FM放送)が残るのみとなった。2005年(平成17年)9月にはNHKの地上デジタル放送の手稲山送信所へ放送波を転送するためのSTLアンテナが設置された。1961年(昭和36年)に松下電器産業(現・パナソニック)の寄贈により展望台の下、地上65メートルの四面に電光時計が取り付けられた。「時計を付ければ必ず見てくれる」という松下幸之助の発案だったという。電光時計は1998年(平成10年)と2006年(平成18年)の2度改修工事が行われ、現在は発光ダイオード製である。広告表示は当初「ナショナル」だったが英語表記の「National」になり、2006年(平成18年)の改修で「Panasonic」に変更された。節電のため、0:10-5:00の間は電光時計は消灯される。鉄塔部分の色は、完成当初は銀色だったが、煤煙汚れが目立ち、また冬季の視認性の問題が指摘されたことなどから、1963年(昭和38年)に「コッパーローズ(薄朱色)」に塗り替えられた。さらに、1969年(昭和44年)にはさらに濃い「クラウディレッド」となった。「最初は赤くなかった「テレビ塔」(札幌・大通) 」ブラサトル2011年(平成23年)12月18日2002年(平成14年)に内外装の大改修が実施され、2・3階部分の外壁の色が薄い緑色から現在の濃い緑色になった。完成当初はまだ市内中心部も高層の建物が少なく、札幌市内を一望できる数少ない施設としてまたプラネタリウム(現在も3階屋根部分、正面より向かって右付近に存在する緑色のドーム形状部屋)や映画館(どちらも現在は廃止)などの観光施設もあったことから多くの市民や観光客が訪れ、展望台に上るために1時間待つのが当たり前であったという。現在は雪まつり期間中を除き、長時間待つことは少なくなった。今も大通の景観上重要な存在だが、近隣に40階建ての超高層マンションとなるシティタワー札幌大通が完成するなど周囲の建物の高層化が進み、かつての突出感はなくなった。File:STV 1961.JPG|1961年(昭和36年)ごろのさっぽろテレビ塔(左端)。札幌テレビ放送(STV)の旧放送会館が近隣にあり、親局送信所として稼動していた。時計はまだ設置されていないFile:Sapporo TV Tower in the snow.jpg|2006年の改修工事前。広告表示が「National」になっている〔2004年(平成16年)12月〕File:Sapporo TV Tower 20081223.JPG|現在のテレビ塔。広告表示が「Panasonic」になっている〔2008年(平成20年)12月〕File:View of Sapporo TV Tower from Odori Park(2011).JPG|冬のさっぽろテレビ塔と大通公園〔2011年(平成22年)1月〕File:Sapporo TV Tower and Odori park.JPG|夜のさっぽろテレビ塔と噴水〔2012年(平成23年)9月〕」の詳細全文を読む




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