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朱器台盤(しゅきだいばん)とは、藤原氏の家宝として歴代藤氏長者に継承されてきた朱塗りの什器のこと。正月の大臣大饗の際に用いた。 平安時代の酒宴は大饗(だいおう)と呼ばれ、テーブルである台盤と椅子を用いて主人と客が卓を囲む共同膳の様式であった。諸記録によれば、大饗の際に用いた朱器(朱塗りの食器・酒器)が長櫃4台に納められ、また朱器を置くための台盤が大きな物が5つありそれを含めて27個存在したとされている。 伝承によれば、藤原冬嗣が勧学院に納めた物とされ、以後代々勧学院の別当を兼務した藤氏長者が所持していたとされている。ただし、記録上実際に確認できるのは藤原兼家以後のこととされ、朱器台盤の授受(「朱器渡りの儀」)が藤氏長者交替の際〔朱器台盤以外に長者印・渡荘券文(わたりしょうけんもん、長者が管理する荘園「殿下渡領」の権利書)・蒭斤(まぐさはかり、藤氏長者の御厩の秣を計量・管理するための秤)の合わせて4つが授受された。〕に東三条殿において行われたのは藤原師実以後とされている。久安6年(1150年)、藤原忠実が長男の関白藤原忠通を義絶して次男の藤原頼長を藤氏長者とした際に武士達に命じて強引に朱器台盤を頼長のもとに移した故事は良く知られている。 ところが、宮中行事などの衰退によって大饗が開かれることがなくなり、朱器台盤も相次ぐ戦乱や五摂家の成立による短期間での藤氏長者の交替などによって散逸してしまったらしく、延文6年(康安元年/1361年)に近衛道嗣が藤氏長者に就任した際には「朱器渡りの儀」が行われていないために、その以前の段階で朱器台盤は既に存在していなかったと考えられている。 なお、南北朝時代から室町時代にかけて酒宴の形式も変化し、台盤を用いずに床に直接着座し、銘々膳を配膳する本膳料理の形式となる。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱器台盤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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