|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 朱 : [しゅ, あけ] 【名詞】 1. (1) scarlet 2. red 3. (2) bloody
朱 履龢(しゅ りわ)は中華民国の政治家・司法官。中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人である。字は笑山。「朱履和」〔『民国職官年表』634-635頁など。〕と表記される例もある。 == 事跡 == イギリス留学経験を持ち、帰国後は、法権討論会と関税特別会議で秘書をつとめた。 1927年(民国16年)6月、国民政府で外交部総務司司長となる。10月、同部第二司司長に異動した。翌年2月、司法部秘書長となり、翌月、司法部次長に昇格している(11月、同部政務次長となる)。1930年(民国19年)4月、魏道明の後任として司法行政部長代理に就任する。12月、立法院立法委員も兼任した。翌年12月、羅文幹の司法行政部長就任とともに、政務次長に戻る。1932年(民国21年)1月、政務次長からも退いた。 1938年(民国27年)8月、中華民国維新政府の司法行政部次長に任命された。翌年5月、新設された最高法院院長に就任している。1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府が成立すると、朱履龢は司法院副院長と中央政治委員会列席委員に任命された。同年4月、中央公務員懲戒委員会委員長に任命されている。 1945年(民国34年)4月13日、死去。享年69。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱履ワ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|