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朱 建栄(しゅ けんえい、チュー・チエンロン、1957年 - )は、中華人民共和国出身の政治学者。東洋学園大学教授。専門は、中国の政治外交史・現代史に関する研究、東アジアの国際関係に関する研究。日本華人教授会議代表を歴任(2003年1月 - 2013年4月)。 == 来歴 == 上海生まれ。1981年、華東師範大学で日本文学を専攻し卒業。1984年、上海国際問題研究所 (SIIS) 付属研究生院で修士号を取得。 日本人女性研究者と結婚後、1986年に総合研究開発機構 (NIRA) 客員研究員として来日する。学習院大学客員研究員を経て、1992年に博士論文「毛沢東の朝鮮戦争」を学習院大学へ提出して博士(政治学)の学位を取得した。学習院大学・東京大学非常勤講師、東洋女子短期大学助教授を経て、1996年から東洋学園大学人文学部教授に就任した。 2013年7月17日、会議出席のために中華人民共和国・上海市へ行ったが、連絡が取れなくなった〔在日中国人教授と連絡取れず=先月下旬上海に、「拘束情報」も-朱東洋学園大教授 〕。また同年5月には、日本の中国紙『新華時報』編集長の蘇霊が、北京市出張中に消息を絶った。この様な中、同年9月洪磊中華人民共和国外交部報道局副局長は「朱氏は中国国民であり、中国の法律と法規を順守しなければならない。」と述べ〔「中国外務省、朱建栄教授への取り調べ認める」 日本経済新聞 2013/9/11〕、中華人民共和国国家安全部がスパイ容疑で取り調べをしていることを事実上認めた〔「「知らない」「分からない」在日中国人、一様に口重く」 MSN産経ニュース2013.9.11〕。その後、2014年1月17日に解放され、上海市の家族宅に戻ったことが、1月24日に東洋学園大学より発表された〔朱建栄教授、身柄拘束解かれ上海の自宅に MSN産経ニュース 2014年1月24日〕〔坂間義隆『朱建栄事件にもる中国・諜報活動の裏表』(雑誌「正論」2013年12月号)〕。 同年2月、7ヶ月ぶりに日本へ戻り、その際に羽田空港で「本日、無事日本に戻ることができた。皆さまにご心配を掛け、おわびするとともにご配慮に心より感謝する」と述べた〔「朱教授7カ月ぶり中国から日本に スパイ容疑で拘束」共同通信2014年2月28日 〕。6月3日にはBSフジの生放送討論番組「BSフジLIVE プライムニュース」に生出演した〔 朱建榮が語る“生還”〕。この件について各報道機関は朱がテレビ番組に出演する直前、携帯電話で駐日中国大使館関係者と発言内容と程度を相談する姿が目撃され、中国を擁護する発言を積極的に行ってきたこと等から「中国のスパイ」とも言われてきたが、日本に寝返った「二重スパイ」が判明して逮捕されたのではないかと伝えた〔〔「二重スパイ容疑?朱建栄氏釈放でも残る中国当局の闇」週刊文春 2014年1月30日〕〔「スパイ容疑で拘束の朱教授 中国未公開文書入手か」東京新聞 朝刊 2013年9月15日〕。産経新聞は、朱が日本の政府機関からの資金援助を受けた見返りに、中国の政治、軍事などに関する機密情報を収集して日本に提供した疑いがあるとし、また「(中国政府が)日本にいる中国人学者に対し『日本当局者と親密な関係を持つな』と警告する意味もある」とする中国共産党関係者の話を伝えた〔尖閣戦争から1年…中国「二重スパイを逮捕」中央日報 2013年9月12日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱建栄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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