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朱引(しゅびき)とは、江戸幕府が江戸の範囲を示すために使った用語であり〔明治四年朱引内四十四区制について 中元幸二 『東京都公文書館 研究紀要』(第4号)、p14-40、平成14年3月〕、地図上に朱線で囲った地域として示されたことに由来する。 一般に「大江戸」として認識されているのが、この朱引の範囲であり〔江戸の市街地の広がりと「大江戸」 (シリーズ・レファレンスの杜) 『東京都公文書館だより』 第6号、p6、東京都公文書館発行、平成17年3月〕、現在の山手線の周辺と隅田川東岸の下町地域(墨田区および江東区)を合わせた地域にほぼ一致する。「朱引」は1818年に初めて定められ、その呼称は明治時代に至るまで使われた。 == 概要 == 江戸城築城以来、江戸の市域は拡大を続け、19世紀初頭にはすでに、その範囲は不明確となっていた。幕府目付・牧野助左衛門(まきのすけざえもん)は1818年(文政元年)8月、市域の確定を求める「御府内外境筋之儀」についての伺いを出し、それを受けて同年12月、老中安部正精(あべまさきよ)によって示された幕府の見解が朱引である〔 江戸の範囲 (レファレンスの杜) 『東京都公文書館 研究紀要』(第4号)、p45-48、平成14年3月〕。「旧江戸朱引内図」(1818年、東京都公文書館所蔵)はこの答申に基づいて作成され〔、江戸の範囲はその地図上に、江戸城を中心とする朱色の線(朱引線)で囲まれた区域として示されている。 これは、歴史上初めて正式に示された江戸市域(大江戸)の範囲であり、「朱引内(しゅびきうち),」〔読み方は国史大辞典(吉川弘文館)、日本国語大辞典(小学館)による〕、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれる。この外側は朱引外(しゅびきそと)と呼ばれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱引」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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