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『朱雀家の滅亡』(すざくけのめつぼう)は、三島由紀夫の戯曲。「春」「秋」「夏」「冬」の全4幕から成る。太平洋戦争(大東亜戦争)末期の戦中・戦後2年間の東京を舞台に、堂上華族の侯爵家である「朱雀家」の承勅必謹と崩壊を、日本帝国の崩壊と重ねて描いた作品である。狂気としての孤忠、滅びとしての忠節を、ギリシア悲劇のエウリピデス『ヘラクレス』を典拠とし、「僭主征伐」を第1幕、「子殺し」を第2幕、「妻殺し」を第3幕、「運命愛(アモール・ファティ)」を第4幕に該当させている〔三島由紀夫「『朱雀家の滅亡』について」(文藝 1967年10月号に掲載)。「後記」として『朱雀家の滅亡』(河出書房新社、1967年)に同時収録。〕。 1967年(昭和42年)、文芸雑誌『文藝』10月号に掲載され、同年10月25日に河出書房新社より単行本刊行された。初演はそれに先立つ10月13日に劇団NLTにより紀伊國屋ホールで上演された。文庫版は河出文庫『サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡』で刊行されている。翻訳版は佐藤紘彰訳(英題:The Decline and Fall of The Suzaku)で行われている。 == 主題 == 三島は、大御心にそおうとして陛下の寵臣まで殺すという「二・二六事件」を題材に『憂国』『英霊の聲』を書き、「どこまでも自分を押し通す忠義」を描いているが〔三島由紀夫「『朱雀家の滅亡』の三島由紀夫――著者との対話」(名古屋タイムス 1967年11月13日号に掲載)〕、この『朱雀家の滅亡』では、「何もするな」という陛下の御心を察して「滅びてゆく忠義」を描いて、一見逆の様相となっている〔。しかし三島は、その両方とも「忠義の主観」であることには変わりないとし、主観でない忠義などあるのかと疑問を呈しつつ、お茶を持って来いと命令され、ハイと持ってくるような単純明快なものなら主君の主観は間違いないが、忠義とはもっと「形而上的」で複雑だから、「結局お察しして忠義を尽くすしかない」ものだと考察している〔。 そして『朱雀家の滅亡』においては、受け身の忠誠が、同一化としての忠義に移っていく過程を描いているが〔、その忠義について三島は次のように語っている。 そのような主題を、ギリシア悲劇のエウリピデス『ヘラクレス』に典拠とし、終戦をはさむ「春」「秋」「夏」「冬」の朱雀侯爵邸を舞台に展開させた『朱雀家の滅亡』は、第1幕を「僭主征伐」、第2幕を「子殺し」、第3幕を「妻殺し」、第4幕を「運命愛(アモール・ファティ)」に該当させている〔〔。そしてヘラクレスの狂気に当たるものが、主人公・朱雀経隆の「孤忠」であり、女神ヘラに当たるものが、代々朱雀家にまつられている弁財天となっている〔〔〔弁財天については、元公爵の西園寺家が弁財天をまつっていることから発想が浮かんだという。また、この芝居は中村伸郎(劇団NLT)のために書いた芝居だとも述べている〕。三島はこの主題を以下のように解説している。 またこうした作品の骨組みの中に、三島は「私の好きなあらゆるもの」を詰め込み、自身のノスタルジーをこっそり塗り込めてあるとして〔、以下のように述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱雀家の滅亡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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