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朱鞠内駅(しゅまりないえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町字朱鞠内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はマリ。深名線の廃線に伴い1995年(平成7年)9月4日に廃駅となった。 == 歴史 == * 1932年(昭和7年)10月25日 - 鉄道省幌加内線添牛内駅 - 当駅間延伸開通に伴い開業〔『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 I』1998年10月 JTB編集・発行。〕〔『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。〕。一般駅〔。 * 1933年(昭和8年)頃 - 雨竜第一ダム建設に伴う水没地域の立木伐採運搬のため、王子製紙〔ダム建設を行った雨竜電力㈱は王子製紙の傍系企業。〕より依頼を受けた川上林業㈱がブトカマベツ川〔母子里から現在の朱鞠内湖の中央を通って雨竜第一ダムの出口へ流れ、三股で雨竜川へ合流していた。〕沿いに軽便軌道を敷設、ガソリン機関車にて当駅裏土場へ林材輸送〔新幌加内町史 2008年3月発行、P211。〕〔1947年(昭和22年)撮影航空写真 (国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)当駅裏土場から雨竜川の橋を渡ってダムの手前まで(往時より短縮されて)敷かれた軌道を確認することができる。ダムは1943年(昭和18年)から湛水を開始し、終戦を挟んで1947年(昭和22年)頃まで付帯工事が行われていた。なお、駅裏土場から雨竜川の対岸へ架けられていた橋は、ガソリンエンジン機関車に因んで「えんじん橋」と呼ばれたが(新幌加内町史)、その後1948年(昭和23年)に村道整備にあわせて村の管理となり、1955年(昭和30年)に上流側に位置を変えて架け替えられた(幌加内村史)。この村道が道道添牛内風連線を経て国道275号線となった現在もその名が引き継がれている。〕。 * 1941年(昭和16年)10月10日 - 幌加内線当駅 - 名雨線初茶志内駅(後の天塩弥生駅)間延伸開通(深名線全通)に伴い中間駅となる〔。同時に線路名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる〔。深川機関区朱鞠内支区設置〔『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。第5編資料/1年表。〕。 * 不明(昭和20年代前半?) - 川上林業(王子製紙)の軽便軌道が廃止〔。 * 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 * 1950年(昭和25年)2月11日 - 朱鞠内機関支区廃止〔、駐泊所となる〔幌加内町史 P728。〕。 * 1964年(昭和39年) * 5月16日 - 朱鞠内市街大火により駅舎全焼〔新幌加内町史 P213。〕。 * 8月末 - 新駅舎供用開始〔新幌加内町史 P749。〕。 * 1966年(昭和41年)7月27日 - 当駅構内にて名羽線朱鞠内側(朱鞠内-上流 約28km区間)建設工事起工式(着工は29日)〔新幌加内町史 P614,615。なお羽幌側の曙-上流区間は、これに先行する1962年(昭和37年)4月22日に三毛別にて起工式がおこなわれた。〕。 * 1981年(昭和56年)- 名羽線建設工事休止〔新幌加内町史 P615。〕。 * 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物取扱い廃止〔。業務委託駅化〔新幌加内町史 P597-598 。〕。 * 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止〔。 * 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承〔。 * 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱鞠内駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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