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朴 元宗(パク・ウォンジョン、ぼく げんそう、朝鮮語:박원종、1467年(世祖12年) - 1510年(中宗5年))は、朝鮮時代(李氏朝鮮)中期の軍人、政治家である。第11代国王・中宗の最側近人事の1人である。実姉は第9代国王・成宗の実兄の月山大君の後妻の昇平府夫人朴氏。また敬嬪朴氏は従妹であり、章敬王后は姪である。1506年(燕山君12年)9月2日に発生した宮廷クーデター事件「中宗反正」(別名:朴元宗の乱)により暴君で名高い第10代国王・燕山君に引導を渡した筆頭人物で知られる。 == 経歴・業績 == 1485年(成宗17年)、武科に合格して成宗からの寵愛を受けていた。成宗が二度、文臣高位の官職を与えようとしたが武科出身と言うことで他の重臣から反対されていた。燕山君の即位後、当初は信任を得て官職を歴任するが次第に燕山君に疎まれるようになり地方へ左遷となる。 一時的に中央へ呼び戻されるが再度燕山君に疎まれて辞職となる。その後、燕山君自身による度重なる背徳政治と無差別粛清が進むと燕山君に左遷させられた朴の部下の成希顔、柳順汀、そして反正勢力側に寝返った柳子光などと共に燕山君の異母弟の晋城大君を推戴し、王位に就けるためのクーデターを起こす事となる。 結果的にクーデターを成功させ、政治の主導権を掌握。最終的に靖国功臣になり、平城君(ピョンソングン、へいじょうくん)に封じられ重職を歴任したが中宗即位から4年後の1510年に数え年の44歳で急死した。彼の死後は中宗の忠臣として宗廟に祀られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朴元宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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