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朴成哲 : ウィキペディア日本語版
朴成哲[ぱく そんちょる]

朴 成哲(パク・ソンチョル、、1913年9月2日 - 2008年10月28日)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。国家副主席や政務院総理首相)などの要職を歴任した。
== 経歴 ==
日本統治時代に、慶尚北道慶州市で生まれる。日本の明治大学を中退。1934年4月、満州の抗日パルチザンに参加。1936年、東北抗日聯軍第5軍教導第1隊青年隊員。1937年、第2軍第4師第1団排長。1942年、第88独立狙撃旅団第1大隊第1中隊第1小隊長。のち戦士に降格。
朝鮮民主主義人民共和国成立後、1959年10月に外務相(大臣)に就任し、1970年7月に退任するまで北朝鮮の外交を牽引した。この間、1966年に内閣副首相を兼務。1972年、非公式に大韓民国の首都ソウルを訪問して朴正煕大統領と会談し、南北共同声明発表への道筋をつけた。同年12月に内閣が政務院に改組されると、引き続き政務院副総理に就任した。党務の面では、1964年6月の朝鮮労働党第4期中央委員会第9回総会で政治委員会候補委員(政治局員候補)に、1966年10月の第4期党中央委員会第14回総会で政治委員会委員(政治局員)に選出。1970年の第5回党大会でも政治委員会委員に再選された。
1976年4月29日、政務院総理に就任。翌年12月15日、国家副主席に転任。1980年の第6回党大会において党政治局員に選出される。1991年8月、祖国統一民主主義戦線議長を兼任。
1994年7月8日国家主席の金日成が死去したため、国家主席職は空席となり、1998年9月5日の憲法改正によって国家主席・副主席職が廃止された。国家副主席だった朴成哲は最高人民会議常任委員会名誉副委員長となり、党政治局員の地位を保ったものの、高齢のためもあって、金日成時代を象徴する形式的・名誉職的な地位に甘んじることとなった。2003年9月の建国55周年記念閲兵式典で観覧席に登場して以来、動静に関する公式報道が途絶えていたが、2007年7月30日、道、市、郡人民会議代議員選挙で投票したことを朝鮮中央テレビが伝えた。
2008年10月28日朝鮮中央通信が死去を伝えた。「長い間病気だった」としている。
孫のひとりは、日本人拉致被害者曽我ひとみの娘美花・ブリンダ姉妹の指導員を務めていた。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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