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朴 順天(パク・スンチョン、1898年 - 1983年1月9日)は、第一共和国・第二共和国・第三共和国時代の韓国における女性政治家である。最大野党の党首も勤めるなど韓国における女性政治家の草分け的存在として知られている。 == 人物像 == 慶尚南道の両班(ヤンバン)の家に生まれた。1917年に釜山の女学校を卒業後、馬山の義信女学校に教師として赴任した。在職中の1919年に発生した三・一独立運動に参加して逮捕され、一年間服役。その後、日本に渡り日本女子大学で勉学に励み1926年に同校を卒業した。 1945年8月、日本敗戦による植民地支配からの解放後、信託統治反対運動にかかわり、建国婦女同盟副委員長、独立促成愛国婦人会(後に大韓婦人会)副会長、大韓婦人会会長を歴任し、1950年5月に行われた総選挙に出馬して初当選した。当初は李承晩大統領と行動をともにしていたが、四捨五入改憲(三選改憲)事件以降は袂を分かち、与党自由党の腐敗政治に反対する闘争を行なうようになった。1955年、申翼煕や尹潽善、張勉、趙炳玉などと共に民主党の結成に参加した。 以後、1958年、1960年の総選挙で当選を重ねたが、1961年の5・16軍事クーデターで成立した軍事政権によって1963年まで政治活動を禁止された。1963年2月に政治活動が解禁されると再建された民主党〔第2共和国時代の与党である民主党新派(張勉国務総理を領袖とする官僚グループ)のみで結成されたが、張勉の政治活動禁止は結局解除されなかったため、やむ得ず知名度がある彼女を党首に擁立することになった。なお、当時若手政治家であった金大中も参加した。〕の総裁に就任、1965年に民政党〔第2共和国時代の与党民主党の旧派(尹潽善大統領を中心とした政治家達を中心とするグループ。解放直後に結成された韓民党を淵源とする)が結成した保守政党。〕と民主党が合同して結成された民衆党の党大会で、尹潽善を抑えて代表最高委員(党首)に就任した。1967年に結成された新民党では顧問に就任している。この間、通算で5回当選(1950年・58年・60年・63年・67年)しており、2012年4月の第19代総選挙で朴槿恵(現・韓国大統領)が5選を果たすまで、韓国における女性政治家で5選議員は彼女が唯一であった〔박근혜 능가하는 역대 최다선 여성의원은?(朴槿恵凌駕する最多選女性議員は?) 朝鮮日報2011年8月19日(本国版)〕。 1972年に政界を引退後、京畿道安陽の槿明学校理事長に就任。陸英修追悼記念事業会理事長や国政諮問委員など要職を歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朴順天」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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