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朽木 稙治(くつき たねはる)は、丹波福知山藩の第4代藩主。福知山藩朽木家5代。 == 生涯 == 寛文5年(1665年)11月7日、初代藩主(当時は常陸土浦藩主)朽木稙昌の次男として生まれる。延宝7年(1679年)3月13日、将軍徳川家綱に拝謁する。元禄7年(1694年)3月9日、将軍徳川綱吉の中奥小姓に任じられる。元禄9年12月22日、従五位下土佐守に叙任する。宝永5年(1708年)6月25日、稙昌の隠居にともない家督を継いだ兄稙元から3000石を与えられ、正式に分家して旗本となる。宝永7年、小姓組番頭に就任する。享保2年(1717年)12月9日、病気のために小姓組番頭を辞任する。 享保11年(1726年)5月11日、稙元の子で第3代藩主の稙綱が早世したため、本家の家督を継いだ。3000石は幕府に収公された。荻生徂徠と親交があったため、藩政では文治の発展に尽力した。 稙治は子どもに恵まれず、旗本であったころに弟の昌充や迪綱を養子に迎えた。しかし相次いで死去したため、迪綱の子の綱貞を継嗣にした。大名になったころに、綱貞が病弱な上に不和になったため廃嫡し、美濃岩村藩(大給松平家)から、これも甥にあたる玄綱を養子として迎え、享保13年(1728年)11月23日に家督を譲って隠居した。 その後は大久保下屋敷に住んで剃髪し、英山と号した。寛保元年(1741年)7月28日に死去した。享年77。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朽木稙治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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