翻訳と辞書
Words near each other
・ 朽木藩
・ 朽木量
・ 朽網
・ 朽網信号場
・ 朽網宗壽
・ 朽網宗暦
・ 朽網東
・ 朽網氏
・ 朽網西
・ 朽網親満
朽網鎮則
・ 朽網鎮房
・ 朽網鎮武
・ 朽網鑑康
・ 朽網鑑房
・ 朽網駅
・ 朽羅神社
・ 朽葉
・ 朽葉色
・ 朾


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朽網鎮則 : ミニ英和和英辞書
朽網鎮則[くたみ しげのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あみ]
 【名詞】 1. net 2. network 

朽網鎮則 : ウィキペディア日本語版
朽網鎮則[くたみ しげのり]

朽網 鎮則(くたみ しげのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大友氏の家臣。大友義鎮(宗麟)より偏諱を賜り鎮則を名乗る。
== 生涯 ==
天正6年(1578年)、大友氏の日向国攻めに参陣せず、父・宗暦と肥後国に駐留。天正14年(1586年)末、島津氏豊後国侵攻(豊薩合戦)に際しては、当初は三船城で戦うが、抗戦しきれずと判断し密かに居城山野城へ撤収。そこで篭城したものの、父の死もあって将兵の士気は低下、翌15年(1587年)1月、開城し島津軍と和睦した。その後河内山へ移って父の骸を岳麓寺に葬っている。同年秋に豊臣秀吉九州平定が始まった際、大友義統は島津に降った者を許さず討伐を決定した。対象の一人となった鎮則は、岳麓寺住職の進言で佐賀関経由で上方へ逃れようとするも、途中の大分市乙津で徳丸筑前守の追手に包囲され、切腹入水した。子の統直国東郡都甲で討死、他の一族は肥後方面へ脱出したという。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朽網鎮則」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.