|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 杉 : [すぎ] 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 房 : [ぼう, ふさ] 【名詞】 1. tuft ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular
杉原 房正(すぎはら ふさまさ、享保8年(1723年) – 寛政12年3月2日(1800年3月26日))は、備中国足守藩の家老。足守杉原家第4代当主。 第3代当主杉原正忠の長男。通称は玄蕃。養子に杉原丹宮、杉原馬之丞。 享保18年(1733年)2月6日、家督相続し、400石を給わる。この際、名字を瀬川に戻したが、のちに佐良木と改め、元文2年(1737年)に杉原姓に復した。 寛保3年(1743年)3月19日に家老となる。宝暦12年(1762年)7月8日には元締方を引き受け、藩財政に関する一切を取り仕切った。安永7年(1778年)に50石加増され、寛政10年(1798年)3月15日にも50石加増されて500石となる。 同12年(1800年)3月2日、江戸へ向かう旅の途中の藤沢で病死。享年78。 男子がなく、養子を迎えたが相次いで世を去ったため(後述)、嫡孫杉原景正が跡を継いだ。 == 相次ぐ後継者の死 == *養子:杉原丹宮(杉原伊織政春三男) *天明元年(1781年)3月7日に家老見習となるが、翌年5月11日に病死。 *養子:杉原馬之丞(分家佐良木家より) *天明6年(1786年)7月22日に家老見習となるが、寛政元年(1789年)8月晦日に病死。 *孫:杉原元吉 *天明6年(1786年)8月16日に早世。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉原房正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|