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杉山 力裕(すぎやま りきひろ、1987年5月1日 - )は、静岡県静岡市出身の日本のプロサッカー選手。Jリーグ ディビジョン1・清水エスパルスに所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 == 経歴 == 静岡に生まれ、両親の名前から1文字ずつ取って命名された〔由本裕貴『この男にドラマあり 担当記者の推しメン 川崎F 由本裕貴記者』 日刊スポーツ大阪版 2011.4.30第7版 p.9〕。3歳の時に父親が亡くなり〔、以後は母親に育てられた。小学生時代は麻機サッカースポーツ少年団に所属していた。この頃の憧れの選手は地元清水エスパルス所属のシジマール・アントニオ・マルチンスで、自宅にポスターを貼っていた他、髪型までまねたと語っている〔。 キューズフットボールクラブを経て2003年に静岡学園高等学校に入学、3年時には主将も務めた。2005年に川崎フロンターレに入団。入団から数年は控えとしての日々が続いていたが、2009年9月3日にナビスコカップ準決勝の横浜F・マリノス戦で正GKの川島永嗣が日本代表の遠征で不在だったこともあり公式戦デビューを果たした。W杯後に川島が移籍した後は相澤貴志が正GKを務めていたが、2010年11月14日の鹿島アントラーズ戦で相澤の負傷を受けて途中出場し、リーグ戦初出場を果たした。しかし、交代直後に失点して敗れるというほろ苦いデビューとなった。 2011年は自身初の開幕スタメンを掴んだが、4月29日の名古屋グランパス戦で負傷。右手中指の骨折で全治8週間と診断され〔杉山力裕選手の負傷について J`s GOAL 2011年4月30日〕、その間に相澤にポジションを奪われた(なおその後相澤も故障)。復帰後も暫くは相澤の控えだったが、チームは夏場に8連敗を喫して急失速。その時に再び先発で起用されるようになって以降ゴールを守り続け、自己最多の13試合に出場した。相澤が退団した2012年より背番号を1に変更した。しかし開幕スタメンは移籍加入したベテランの西部洋平に譲り、さらに練習中に左ハムストリングの肉離れを起こしてしまい2年連続での離脱となってしまった。〔杉山力裕選手のケガについて 川崎フロンターレ公式サイト 2012年3月21日〕2013年、2014年シ-ズンはともに西部からスタメンの座を奪いきれずにいた。 2015年シーズンより、清水に完全移籍となった。開幕戦こそ櫛引政敏にスタメンの座を譲も、櫛引とのスタメン争いを制し2ndステージでは、第1節を除く全試合でスタメン出場しキャリアハイとなる24試合に出場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉山力裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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