|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 杉 : [すぎ] 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 誠 : [まこと] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion
杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF。双子の弟の杉山実〔静岡学園高校-東京農業大学-富士通(現・川崎フロンターレ)でプレー。〕も元サッカー選手である。 ==来歴== 藤枝市立藤枝中央小学校でサッカーを始める。藤枝市立藤枝中学校3年次には全国中学校サッカー大会に出場し準優勝に貢献した〔決勝戦で水沼貴史を擁する浦和市立本太中学校に敗退。〕。 高校は地元の藤枝を離れ、静岡学園高校に進学〔同期に宮原真司、森下申一らがいる。〕。井田勝通監督の下で1年次に高校サッカー選手権準優勝。2年次には静岡県国体選抜に選出され、国民体育大会サッカー競技で優勝。3年次には日本ユース代表に選出、松本育夫監督の厳しい指導を受けた結果、最終メンバーに残り、1979年のFIFAワールドユース日本大会に出場した。 東京農業大学卒業後、1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に加入。1年目から出場機会を掴むと、1983年、1985年の天皇杯優勝や1988-89シーズンから1989-90シーズンの2季連続三冠獲得に貢献するなど同サッカー部の守備の要として活躍した。 1991年にプロリーグへの参加が内定していたJSL2部の住友金属工業蹴球団へ移籍、Jリーグ設立に伴い鹿島アントラーズと改称した後も同クラブでプレー。1993年のサントリーシリーズでは、故障で離脱していたセンターバック奥野僚右の代わりにレギュラーに定着すると、奥野の穴を埋める活躍で鹿島のステージ初優勝に貢献した。 1994年にジャパンフットボールリーグの京都パープルサンガへ移籍し、1996年に現役を引退した。 引退後は1年間高校生の指導を行った後、コミュニティサッカースクールの指導者へ進み、2000年には会社を立ち上げ独立。郷里の藤枝で弟の実と共にフットサル場の経営とサッカースクールを主催し、後進の指導に努めている。 2013年から、サガン鳥栖U-15唐津の監督に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉山誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|