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杉山邦博 : ミニ英和和英辞書
杉山邦博[すぎやま くにひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ほう, くに]
 (n) country
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

杉山邦博 : ウィキペディア日本語版
杉山邦博[すぎやま くにひろ]

杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年10月19日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサー日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授中京大学体育学部大学院非常勤講師。東京相撲記者クラブ会友。福岡県出身。実弟は教育学の研究で知られ元日本教育学会会長の堀尾輝久東大名誉教授。
== 来歴・人物 ==
1930年、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。熊本陸軍幼年学校福岡県立小倉高等学校早稲田大学文学部を経て、1953年、NHKに入局。初任地は名古屋局で、この時の上司(放送部長)が1933年の1月場所から大相撲実況をしていた山本照だった。スポーツ実況のアナウンサーとして進むことを希望していた杉山にとって、この時の出会いが、子どもの頃にラジオで聞いて憧れた大相撲実況への道に進む端緒となり、自身初の大相撲実況は、1954年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋準本場所だった。
1957年11月の九州場所が準本場所から本場所に格上げになるにあたり、それに先立って大相撲中継のノウハウを持つスタッフの少なかった福岡局に異動。九州場所の中継を任された。この時のことを「生まれ故郷の福岡で、初めての本場所開催に携われたことは本当に光栄でした」と述懐している。NHK在職中は名古屋(1953-57年、1982-85年)、福岡(1957-60年、1965-69年)、大阪(1969-72年)、東京(1960-65年、1972-82年、1985-87年)と大相撲の本場所開催地の放送局に一貫して在籍した。
1987年10月に定年を迎え、その直前の1987年9月場所千秋楽が最後の実況となった。その後も1994年3月場所まで解説などでNHKの大相撲中継にも関わったが、現在も東京相撲記者クラブ会友として活動し、本場所では、東側花道脇の席に座っている姿がテレビの大相撲中継でよく映し出される。この他にも相撲力士結婚式断髪式司会進行役を行うこともある。
杉山とほぼ同時期にNHKの大相撲中継に携わったアナウンサーには、北出清五郎向坂松彦石橋省三らがいる。
杉山はまたスポーツアナウンサーとしてオリンピック中継クルーにも入り、1964年東京大会1968年メキシコ大会で実況中継を行った。
またプロ野球中継、高校野球中継の実況アナウンサーも担当していたこともある。
競馬中継では、1970年代にメインの司会、実況を務めており、ハイセイコーが初めて敗れた1973年東京優駿などで実況歴がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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