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杉村 英孝(すぎむら ひでたか、1982年3月1日 - )は日本のボッチャ選手(BC2クラス)。静岡ボッチャ協会、BLACK × WHITE所属。 == 経歴 == 静岡県伊東市出身。先天性の脳性麻痺で小学校から高校まで静岡市内の特別支援学校に通った〔「世界の夢舞台で全力 伊東の杉村さん、パラリンピック「ボッチャ」で出場へ /静岡県」.『朝日新聞(静岡)』.2012年2月2日付朝刊、33面。〕。学生時は車いすサッカーなどをしていたが、高3の時、施設の教師に見せてもらったビデオをきっかけにボッチャを始めた〔「「ボッチャ」で金メダルを パラリンピック代表 杉村さん「広めたい」=静岡」.『読売新聞(静岡)』.2012年7月24日付朝刊、34面。〕。 卒業後、静岡市内で初めて行われたボッチャの地方大会に出場、団体戦で3位の成績を収めた。2009年の日本ボッチャ選手権大会で3位、2010年のBOCCIA JAPAN CUP 2010で3位に入り、平成22年(2010年)度の日本ボッチャ協会の強化指定選手に選出。同年7月に広州市で行われた2010アジアパラ競技大会では日本人最高の5位となった。 2011年8月にベルファストで開かれたBoccia World Cup 2011では廣瀬隆喜、海沼理佐、柴山友里子(BC1)、秋元妙美(BC1)と団体戦に挑み、準優勝。国際大会で日本チームが銀メダルを取るのはこれが初めてであった(個人戦では決勝トーナメント1回戦で敗退し、23位)。 2012年のロンドンパラリンピックではボッチャの主将を務めた。団体で日本(廣瀬、杉村、柴山、秋元)は1次リーグを勝ち上がったが、準々決勝でポルトガルに敗れ、7位〔「ボッチャ、団体4強逃す ロンドン・パラリンピック」.『朝日新聞』.2012年9月4日付朝刊、24面。〕〔「ロンドン・パラリンピック:ボッチャ団体、日本準々決勝敗退 「チームワーク示せた」」.『毎日新聞』.2012年9月4日付朝刊、19面。〕。日本はボッチャ団体としては初めてのパラリンピック入賞となり、杉村は大会後、厚生労働大臣表彰〔「パラリンピック・ロンドン大会成績優秀者厚生労働大臣表彰=静岡」.『読売新聞(静岡)』.2012年12月6日付朝刊、30面。〕、静岡県知事特別表彰〔「ロンドン・パラリンピック:知事、上位入賞者12選手を特別表彰 次に経験生かして /静岡」.『毎日新聞(静岡)』.2012年11月6日付朝刊、25面。〕、伊東市のスポーツ栄誉賞〔「伊東市・体育協、2人に栄誉賞 五輪・笠原選手とパラリンピック・杉村選手 /静岡県」.『朝日新聞(静岡)』.2012年9月30日付朝刊、29面。〕を受賞した。 2013年1月の第14回日本ボッチャ選手権大会で初優勝。同年12月の第15回日本ボッチャ選手権大会でも優勝し、2連覇。2015年2月の第16回日本ボッチャ選手権大会では準決勝で廣瀬隆喜に敗れ、3位。同年6月、ポズナンで行われたBoccia World Open - Poznan 2015では廣瀬、杉村、BC1の木谷隆行の3人で団体戦を挑み、優勝。国際戦では初めてとなる金メダルに輝いた(個人戦ではベスト16で敗れ、13位)。 同年12月に行われた第17回日本ボッチャ選手権大会では決勝で廣瀬を破り、3度目の優勝を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉村英孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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