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杉浦享 : ミニ英和和英辞書
杉浦享[すぎうら とおる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 

杉浦享 : ウィキペディア日本語版
杉浦享[すぎうら とおる]

杉浦 享(すぎうら とおる、1952年6月8日 - )は、愛知県西尾市(旧・幡豆郡幡豆町)出身のプロ野球選手外野手)・野球指導者・野球解説者東京都荒川区在住。からの登録名杉浦 亨
ぽっちゃりとした体格から、愛称は「ブーちゃん」(当時打撃コーチだった武上四郎に名づけられた)。
== 来歴 ==
中学時代は陸上部。しかし、部員不足の野球部に助っ人で引っ張られていた。愛知高校入学後も陸上部に籍を置いていたが、ここでも部員不足の野球部に勧誘され入部。甲子園には届かなかったが、左の速球派投手として愛知県下では知られるようになった。1970年のドラフト10位でヤクルトアトムズ投手として入団。ドラフト下位指名であったが、5人姉弟の末っ子で高2の時に父親を亡くし、苦労している母親のために、富士重工業の就職が決まっていながらプロ入りした。その後、打者に転向。翌に一軍に上がり、一塁手のレギュラーを獲得した。
に新人の小田義人が入団、には小田らとの交換トレードで日本ハムから大杉勝男が移籍してきたため控え・代打要員が続くが、に一塁手から外野手へコンバートされ、レギュラーに定着。は打率.291、17本塁打、67打点の成績で初優勝に大きく貢献する。はセントラル・リーグベストナインに輝き、大杉引退後の翌からは4番を任せられ、には自己最多の34本塁打をマークし、再びベストナインに輝く。には前年の故障から復活し、カムバック賞を受賞。
その後は池山隆寛広沢克己ら若手の台頭により、に野村克也の監督就任前後から左の代打の切り札として活躍するが、はケガにより18試合の出場にとどまり、またシーズン中に40歳に達していた年齢のこともあって既に現役引退を表明していた。しかし、同年の日本シリーズ西武ライオンズ第1戦、12回ウラ1死満塁の場面で代打で登場。鹿取義隆から日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁本塁打」を放つ。このシリーズでは代打の切り札として、またパ・リーグのルールで戦った第3・4戦は指名打者で先発出場するなど要所で活躍を見せた。このシリーズでチームは敗退してしまったが、野村の強い要請と本人の意志もあり、一転して現役続行。そして翌、前年と同カードの対戦となった日本シリーズでヤクルトは昨年のリベンジを果たし、チームが15年ぶり2度目の日本一を経験したことを花道として現役を引退。現役23年、若松勉(引退)や杉浦と同年に引退の八重樫幸雄と共に、ヤクルト一筋で40歳代まで現役を続けた。
その後はからまでヤクルトの二軍打撃コーチを務めた。球団を退任後はヤクルト本社に異動し、ヤクルト本社食品事業本部直販営業部次長を務めている〔 「日本シリーズ伝説男7人のいま」写真週刊誌『FLASH』2010年11月9・16合併号(光文社)参照〕。
なお、2000年前後に東京ケーブルネットワーク制作の日本ハム戦のプロ野球中継で解説を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「杉浦享」の詳細全文を読む




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