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杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 北海道帯広市生まれ〔国学院大・杉浦5年越し大願成就だ 日刊スポーツ 2013年10月23日〕〔北海道新聞、2013年10月25日 「道産子 夢つかむ ヤクルト1位・杉浦投手 オリックス5位・吉田外野手」〕。小学3年から野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属していた。野球と並行して中学時代までアイスホッケー選手〔【ドラフト候補の大型右腕】杉浦稔大(投手 國學院大学) 高木遊の『熱闘通信』 スポーツナビ+ 2013年2月27日〕としても活躍した。帯広大谷高等学校野球部3年時には決勝まで進んだ。しかし、決勝で後に大学でチームメイトとなる柿田竜吾擁する旭川大学高等学校に敗れ、甲子園出場はならなかった。その後、プロ志望届を提出したが指名漏れとなる〔。 高校卒業後は東都大学野球連盟に加盟する國學院大學(文学部)に進学。硬式野球部では、竹田利秋(1年の春季までは監督、後に総監督)の指導を受ける。2年の春季リーグ戦から試合に出場〔2013年ドラフト 杉浦稔大 スポニチアネックス 2013年11月2日閲覧〕したが、チームはリーグ戦優勝の翌季に最下位・入れ替え戦にも敗れ2部降格という戦国東都の厳しさを味わう〔国学院大 前季優勝校から一転…2部降格 スポニチアネックス 2011年6月6日〕。2年秋季は出番がなかったが、3年春季からエース格となり、2部で3勝、2完封を記録し、2部優勝に貢献した。日本大学との入れ替え戦では國學院が1戦目敗戦の後、2戦目に先発登板し完投勝利。1勝1敗のタイに持ち込んだ3戦目は4-4の同点で迎えた7回表の途中からリリーフ登板。7回裏にチームが勝ち越し、8回表に1点差まで追いつかれたが後続を断ち、接戦を逃げ切り勝利投手となり、3季ぶりの1部復帰を決めている〔日刊スポーツ 2012年6月12日〕。1部復帰した3年秋季は1部の投手の中で最長となる48回2/3イニングを投げ、2完封を含む4勝を挙げた。この頃には日々のトレーニングにより球速が高校時代と比較し10キロ以上もアップ〔。長いリーチを活かしたゆったりとしたフォームで、140km/h台後半のキレのある直球と多彩な変化球で注目を浴び、ドラフト1位候補の逸材と評された〔週刊ベースボール増刊 大学野球2013春季リーグ展望号 P.90、P.107、108 〕。4年春季は怪我もあり不本意な成績であったが、リーグ戦後には第39回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている〔第39回日米大学野球選手権大会大学日本代表に本学から2人選出 國學院大學 2013年6月24日〕。4年秋季には柿田竜吾と左右のWエースを形成し、リーグ戦後半まで亜細亜大学との熾烈な優勝争いを演じ、チームの躍進と2位浮上に大きく貢献した。東都大学野球1部リーグでは通算22試合に登板し12勝7敗、防御率1.84〔週刊ベースボール、2013年11月11日号 P.19 〕。 2013年のドラフト会議でそれぞれ松井裕樹、大瀬良大地を外した福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズの2球団に指名され、抽選の末ヤクルトが交渉権を獲得。12月2日に契約金1億円プラス出来高払い、年俸1500万円で仮契約した。背番号は「18」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉浦稔大」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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