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杉田 成道(すぎた しげみち、1943年10月5日〔『日本映画テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年〕 - )は日本の演出家、映画監督。『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。元フジテレビジョン役員待遇エグゼクティブ・ディレクター、日本映画放送代表取締役社長。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年-2015年)。「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 == 来歴 == 愛知県豊橋市新本町〔で3人兄弟の末っ子として出生。生家は豊橋で江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた〔杉田成道『願わくは、鳩のごとくに』扶桑社、2010年、pp.138、202、207〕。兄はピアニストの杉田谷道。 愛知県立時習館高等学校を1962年に卒業し〔、慶應義塾大学文学部へ進学。大学では約100人いる空手部のキャプテンとしても活躍した〔志賀信夫『映像の先駆者 125人の肖像』日本放送出版協会、2003年、pp.136-139〕。1967年に大学を卒業後、報道を志望して、フジテレビジョンへ入社するが、編成局制作第一演出部へ配属され、小林俊一について演出助手としてドラマ制作に携わる〔。 1969年9月に結婚して1男をもうける〔。妻は小山内薫の孫で、妻の母親が喜劇俳優の三木のり平と再婚しており、三木は義父にあたる。50歳のときに癌で妻と死別した〔杉田成道『願わくは、鳩のごとくに』扶桑社、2010年、pp.21、335-336〕。 1970年に『テレビナイトショー』で演出家デビュー。半年後に報道番組局に異動となり、『週刊ニュース』を担当。その後、サンケイ新聞(現・産経新聞)に出向となり、社会部記者として環境庁(現・環境省)の記者クラブに所属して取材を行った。復帰したフジテレビでは広報部に配属されるが、ドラマ演出を志望し、当時フジテレビの系列制作会社である嶋田親一の新制作に所属して1973年に『肝っ玉捕物帖』でドラマディレクターとしてデビューした〔。 以後、一貫してドラマ演出に携わり、1981年から担当した『北の国から』シリーズでフジテレビの看板ディレクターとなり〔、この番組で知り合った脚本家の倉本聰を三木のり平とともに師として仰いでいる〔杉田成道『願わくは、鳩のごとくに』扶桑社、2010年、p.343〕。 1988年に『優駿 ORACION』で映画監督デビュー。1992年、芸術選奨新人賞放送部門を受賞。 2001年6月、フジテレビの社長に就任した村上光一に代わり、日本映画衛星放送の社長に就任。 2001年に57歳で30歳年下の女性と再婚して1男2女をもうける。妻の勧めでその経緯を記した『願わくは、鳩のごとくに』を2010年に出版。話題となった〔「『北の国から』杉田成道監督 『わが第二の青春 人生は後半戦が面白い』」『週刊現代』2010年12月18日号、pp.192-195〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杉田成道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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