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李 元昊(り げんこう)は、西夏の初代皇帝。廟号は景宗。西平王李徳明の長男。内政・外征共に大きな成功を収め、西夏の創始者にして同王朝随一の名君である。 == 生涯 == タングートの族長の家系の出身。若い頃から智勇に優れ、教養も豊かな人物であった。顕道元年(1032年)、父の死により西平王の地位を継ぎ、大慶3年(1038年)までにタングートの諸部族を武力によって併合したことを背景に皇帝に即位し、国号を大夏とした。宋からは西夏と呼ばれる。 景宗は興慶府(現在の寧夏回族自治区銀川市)を首都と定め、宋に倣った官位制度の整備・学校の創設による教育の普及・軍備増強など、国家の基盤固めに尽力した。 宋との戦いには何度となく大勝するが、同時に宋との交易を断たれたことで経済的に困窮し、最終的に天授礼法延祚7年(1044年)に「夏は宋に臣従する」「宋から夏に対して絹13万・銀5万・茶2万を歳賜として送る」などの条件で和議を結んだ。晩年には西夏文字の形成にも尽力し、西夏の文化向上に努めた。 しかし晩年は酒に溺れ、西夏を乱れさせてしまった。皇后の野利氏・太子の李寧明(寧令哥)を廃したことで、天授礼法延祚11年(1048年)に李寧明によって殺害された。享年46。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李元昊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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