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李勢(り せい)は、五胡十六国成漢の第5代(最後の)皇帝。後世の史家からは後主と称される。昭文帝李寿の長男。 == 生涯 == 玉衡24年(334年)に父の李寿が漢王となると、李勢は翊郡将軍・漢王世子となった。漢興元年(338年)に李寿が帝位につくと、太子に立てられた。後に大将軍・録尚書事を領した。漢興6年(343年)に昭文帝が崩御したため、皇帝に即位した。 馬当・解思明らが末主の弟の漢王李広を皇太弟に立てるように勧めたが、末主は許さなかった。かえって馬当らの陰謀を疑い、太保の李奕に命じて城に李広を襲撃させ、董皎に命じて馬当・解思明を斬らせ、李広を自殺させた。 末主は荒淫に明け暮れ、他人の妻を奪い、大臣を殺して、政治をかえりみなかった。少数民族の反乱が打ち続き、宿将の李奕が晋寿で乱を起こすなど、国内は動揺した。 嘉寧2年(347年)、桓温率いる東晋軍の攻撃を受けた。李福・堅らに迎撃させたが敗れ、桓温が都成都の城下に迫って諸門に放火すると、末主は馮孚の進言を容れて降伏した。ここに成漢は滅亡した。 李勢は助命され、親族10余名とともに東晋の都・建康に送られた。晋から帰義侯に封ぜられて、升平5年(361年)に建康で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李勢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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