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李 品仙(り ひんせん)は、中華民国の軍人。新広西派(新桂系)の有力指揮官の1人で、北伐、反蒋戦争、日中戦争などを歴戦した。字は鶴令。 == 事績 == === 湘軍での台頭 === 郷紳の家庭に生まれる。初めは旧学を学んだが、1907年(光緒33年)に蔡鍔が創設した広西陸軍小学に入学する。1910年(宣統2年)、湖北第3陸軍中学に進学して第2期生となり、その翌年には武昌起義(辛亥革命)に革命派として参加した。その後、帰郷して梧州で軍械局局員となっている。 1913年(民国2年)、保定陸軍軍官学校第1期生として入学し、この時に白崇禧と同学になった。翌年末に卒業し、帰郷して広西軍に入隊、護国戦争にも従軍している。1916年(民国5年)、所属していた連の連長が湖南軍(湘軍)に転じたため、李も湘軍に加入した。その後、保定陸軍軍官学校で同学だった唐生智の配下となり、護法運動に関連する様々な戦役に参戦、順調に昇進した。1924年(民国13年)、湘軍第4師第8旅旅長に任ぜられている。 1926年(民国15年)6月、唐生智が国民革命軍の序列に加わったことに伴い、李品仙は第8軍第3師師長に任ぜられた。北伐に際しては、湖南省各地の攻略と湖北省での呉佩孚軍撃破に貢献している。翌年2月、第8軍副軍長、さらに4月には軍長に昇進し、武漢三鎮衛戌総司令や湖北省政府委員も兼任した。上海クーデター(四・一二政変)が勃発すると、蒋介石を支持して中国共産党の粛清に従事している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李品仙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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