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李 址鎔(り しよう)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。の長男で、興寅君李最応の孫、純宗のはとこにあたる。 == 生涯 == 跡継ぎがいなかった伯父の完永君の養子となる。光緒13年(1887年)に庭試文科に丙科で合格した。以降は黄海道観察使、慶尚南道観察使などの要職を歴任し、光武4年(1900年)に宮内府協弁となった。 光武8年(1904年)2月23日には、外部大臣署理として駐韓日本公使の林権助と日韓議定書に調印し、3月26日には日本国報聘大使として日本へ渡った。 帰国後は、法部大臣・奎章閣学士・判敦寧府事・教育部総監などを経て、光武9年(1905年)には農商工部大臣・内部大臣となった。また、内部大臣として第二次日韓協約に賛成、調印に署名した事により乙巳五賊の一人として糾弾され、激昂した反日団体によって自宅を焼き討ちされた。 光武11年(1907年)5月に中枢院顧問に任命され、日韓併合条約締結後の1910年(明治43年)10月16日には、朝鮮貴族として勲一等伯爵に列せられた。 1928年(昭和3年)に58歳で死去。正三位を贈られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李址鎔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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