翻訳と辞書
Words near each other
・ 李敏
・ 李敏慧
・ 李敏成
・ 李敏鎬
・ 李敏雨
・ 李敖
・ 李敬史
・ 李敬宰
・ 李文博
・ 李文学
李文彩
・ 李文忠
・ 李文忠墓
・ 李文求
・ 李文烈
・ 李文田
・ 李文範
・ 李文茂
・ 李文范
・ 李斉妃


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

李文彩 : ミニ英和和英辞書
李文彩[り ぶんさい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 

李文彩 : ウィキペディア日本語版
李文彩[り ぶんさい]
李 文彩(り ぶんさい、''Li Wencai''、? - 1872年)は、末の民衆反乱の指導者。チワン族
広西省横州(現在の横県)出身。1850年より抗租運動に参加し、指導者となる。1853年より横州・永淳・霊山などを攻撃したが、占領できなかった。1856年陳開潯州大成国を建てると、李文彩も参加して「定国公」に封ぜられた。1857年、李文彩は定北王梁昌率いる西征軍に加わり、横州・永淳を占領し、さらに南寧も攻略した。しかし1858年軍は南寧を奪回し、梁昌は平西王の区潤と内紛を起こした末に、広東省で捕らえられた。李文彩は横州を守っていたが、1859年に陥落した。
1860年太平天国を離脱した石達開軍が広西省に到着すると、李文彩はこれに加わり、親天燕に任じられた。1862年より李文彩は石達開の左宰輔李福猷に従って貴州省から四川省に入ろうとしたが、1863年に李福猷が捕えられたため、李文彩は余党を率いて余老科率いる苗民軍羅光明率いる斎教徒軍と連合することになった。
1865年潘明杰率いる苗民軍と何徳勝率いる黄号軍(灯花教徒軍)と連合して貴陽に迫った。1869年柳天成率いる苗民軍と連合して羊安で清軍に大勝を収め、勢いに乗って都匀を占領した。しかし1870年に都匀を失ったため、張秀眉率いる苗民軍の保護下に入った。しかし1872年、烏鴉坡の戦いで張秀眉が清軍に敗れて捕えられると、李文彩の軍勢も壊滅し、22年にわたる李文彩の戦いも終わった。
==参考文献==

* 羅爾綱『太平天国史』中華書局



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李文彩」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.