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李 根沢(り こんたく)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。現在の大韓民国では乙巳五賊及び親日派の一人とされている。 == 生涯 == 成宗の九男である李忱の子孫として忠清道忠州に生まれる。光緒8年(1882年)の壬午事変により閔妃が忠州に身を避けた際、新鮮な魚を閔妃に献上することによって、閔妃から抜擢されたと伝えられている。閔妃が還宮した翌光緒9年(1883年)に南行宣伝官に任命され、初めて官職に就くこととなった。 光緒10年(1884年)に武科に及第した後、端川府使・吉州牧使・忠清水軍節度使・兵曹参判などを経て、建陽元年(1896年)に陸軍参領に任命され、親衛隊第三大隊長となったが、露館播遷の際に政府の転覆を謀ったことが発覚し、済州島に流刑となった。 翌光武元年(1897年)に恩赦を受けて釈放されると、光武2年(1898年)に独立協会に反対し、その会議解散に功があったとして、11月に漢城府判尹に昇進した。 光武6年(1902年)には議政府賛政、光武7年(1903年)には陸軍副将・軍部大臣、光武9年(1905年)には侍従武官長・農商工部大臣・法部大臣になり、日本政府から勲一等旭日大綬章を受け、同年9月に軍部大臣に任じられて11月の第二次日韓協約の締結に尽力した。 隆熙4年(1910年)8月22日に日韓併合条約の締結に賛同した。同年(明治43年)10月16日には朝鮮貴族として子爵に列せられ、朝鮮総督府中枢院の顧問を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李根沢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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