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李 根源(り こんげん)は清末、中華民国、中華人民共和国の軍人・政治家・革命家。中国同盟会創設時からの構成員だが、後に孫文(孫中山)と対立するようになった人物である。字は印泉、養渓、雪生。別号は高黎貢山人。弟は、雲南軍軍人で後に国民革命軍に参加した李根澐。 == 事跡 == === 昆明重九起義 === 初めは旧学を学んでいたが、1903年(光緒29年)に昆明高等学堂に入学した。翌年、日本へ軍事留学して東京振武学校に入学する。1906年光緒32年、陸軍士官学校に士官候補生として入学した(正式入学は1908年(光緒34年))。日本では中国同盟会の中心的組織者の1人となった。また、雲南日本留学生同郷会会長となり、雲南革命派の雑誌である『雲南』雑誌の編集にも経理として参加している。1908年(光緒34年)には「雲南独立大会」を開催した。 1909年(宣統元年)に帰国し、同年9月に新設されたばかりの雲南陸軍講武堂監督兼歩兵科教官に任命された。翌年5月、講武堂総弁に任命される。1911年(宣統3年)8月、雲南督練処副参議官に任命された。同年10月10日に武昌起義が勃発すると、李根源は唐継尭ら革命派軍人たちと謀議を重ね、蔡鍔を指導者に擁立して決起することにした。 10月30日、蔡鍔、李根源、唐継尭ら革命派軍人は蜂起し、大漢雲南軍政府を樹立した(重九起義)。李根源は、雲南軍政府の軍政部長兼参議院議長に就任している。その後、李根源はすでに大理で決起していた別の革命派政権を説得し、雲南軍政府に合流させることに成功するなど、省内政治面で大きく貢献した。しかし、梁啓超系で袁世凱支持の蔡鍔と、孫文系で反袁の李根源との間では意見対立が発生している。そして1912年(民国元年)8月、李は雲南軍政府の地位を辞任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李根源」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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