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李炯哲 : ミニ英和和英辞書
李炯哲[い ひょんちょる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李炯哲 : ウィキペディア日本語版
李炯哲[い ひょんちょる]

李 炯哲(イ・ヒョンチョル、Hyung-Chul Lee、男性、1969年12月13日 - )は、韓国プロボクサー。元WBA世界スーパーフライ級王者。
== 来歴 ==
1987年10月24日、プロデビュー(4回判定負け)。その後、1988年10月までに通算4戦を戦い、1勝3敗。
1990年8月11日、現役の世界ランカーで後にWBA世界フライ級王者となるデビッド・グリマンベネズエラ)と対戦し、10回判定負け。
1991年4月6日、13戦目で韓国スーパーフライ級王座を獲得。その後、1度防衛に成功。
1994年4月3日にWBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也に挑戦する予定であったが、父親の病気を理由にキャンセル(鬼塚は同じ韓国人の李承九と対戦し、12回判定勝ち)。9月18日、改めて鬼塚に挑戦し9回TKO勝ち。22戦目で世界王者となった〔ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年〕。翌1995年2月25日には田村知範を12回KOに降し、初防衛に成功した〔。
1995年7月22日、2度目の防衛戦でアリミ・ゴイチア(ベネズエラ)と対戦し、4回KO負けで王座陥落(KOパンチがラウンド終了のゴングが鳴った直後に放たれたことから「疑惑のKO」と称された)。
1996年2月24日、ゴイチアと再戦したが、12回KO負けで王座奪回ならず。結局、この試合を最後に引退した。
最終戦績は19勝(14KO)5敗。うち日本人相手には7戦全勝(6KO)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李炯哲」の詳細全文を読む




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