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李 璜(り こう)は中華民国(台湾)の政治家・文学者・歴史学者。字は幼椿。号は学純。中国青年党結成メンバーの1人で、後年、同党の主席を務めた。祖籍は陝西省西安府三原県。 == 事跡 == === 中国青年党の結成 === 13歳の時に成都洋務局英法文官学堂に入学する。1914年(民国3年)、私立震旦学院でフランス語を学んだ。このとき、曽琦・左舜生と知り合っている。1918年(民国7年)9月、少年中国学会に加入した。1919年(民国8年)、フランスに留学してパリ大学に入学、文学修士号を取得した。フランスに在った間、李璜は曽琦らとパリ通信社を創設している。 1923年12月、曽琦らと協力してパリで中国青年党を結成し、李璜は外務部長となった。翌年7月に帰国し、国立武昌大学で教官となった。同年10月、曽と共に上海で青年党機関紙『醒獅』を創刊している。1925年(民国14年)9月、国立北京大学の教官となった。1926年(民国15年)8月1日、青年党の第1回全国代表大会が上海で開催され、李は中央執行委員に選出された。1929年(民国18年)には、党校である知行学院が創設され、李がこれを主宰している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李コウ (中華民国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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