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李章武(りしょうぶ)は中唐の進士。生卒年不明。中唐期の著名人物として小説や雑録類に散見する。李景亮の『李章武伝』〔『太平広記』巻340鬼25所引。〕を信じれば、一族の先祖は中山国に出自を持ち、字は飛卿(ひけい)で排行は18番目であった。 徳宗の貞元年間(基督教暦785年から806年)に進士に及第して〔温庭筠『乾𦠆子』「道政坊宅」(『太平広記』巻341鬼26所引)。但し、徐松の『』に拠ればその事実は見えない。〕東平節度使のに属し〔李景亮『李章武(伝)』。〕、太和の末年(太和は9年(基督教暦836年)迄)には成都のであった〔『』事感第2。『』巻59にも見える。〕という以外は未詳。 学識に満ちて骨董に通じた人物と評され〔孟前掲書。〕、同時にそれとも関するが長3尺(約1米)の僬(燋)僥人の人腊(じんせき。木乃伊)を所持していたり〔段成式『酉陽雑俎』前集巻10。〕、進士に及第したばかりの頃に長安城の東端、道政里(どうせいり)〔東市の東、春明門を入った南に当たる。差し当たって「隋大興城坊図」参照(図の右端中程、都会市の東に見える)。〕内の十字街の東にあった凶宅との評判高き院で怪しい老翁と人骨や驢馬の骨の詰まった篭を持つ老婆に接しても動じなかったというので〔温前掲書。〕、怪異に通じて恐れない人物としての評判も集めていたようである〔黒田真美子『枕中記・李娃伝・鶯鶯伝他』(中国古典小説選5)「李章武伝」余説、明治書院、2006年。温は前掲書で「壮気を負う」と評している。〕。 成都少尹時代に僧尼を集めて仏教経典への通暁如何を試す事があり、それを嘆いた一山僧の為に詩を賦してその難を免れしめたといい、その時の詩が現に残されている〔孟前掲書。〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李章武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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