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李箱 : ミニ英和和英辞書
李箱[いさん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [はこ]
 【名詞】 1. box 

李箱 : ウィキペディア日本語版
李箱[いさん]

李箱(イサン、1910年9月14日(陰暦8月20日) - 1937年4月17日)は朝鮮の詩人小説家。本名は金海卿本貫江陵金氏。
その難解で過度に自己中心的な作風は「天才」と「自己欺瞞」の両極端な評価を受け、独特の世界を描いている。27歳という若さで世を去ったことが、更に李箱の評価を難しくしている。
== 略歴 ==
1910年陰暦8月20日、ソウル鍾路区社稷洞に生まれる。父は金演昌、母は朴世昌、弟と妹が1人ずついる。2歳の時から伯父・金演弼に預けられ、教育を受けた。7歳になると、家から近い桜上洞の新明学校に通い、新明学校を卒業すると、東明学校(後に普成高等普通学校と合併)、京城高等工業学校と進学した。絵の才能があり、普成高校時代には、画家を夢見ていた。学校で優等賞を受けたこともある。
1929年3月、普成高校を卒業後、朝鮮総督府の管理であった伯父の世話を受けて、総督府内務局建築課の技手として就職した。11月には、官房会計課営繕係に転勤している。この頃、日本語の建築会計誌『朝鮮と建築』の表紙の図案募集に応募し、1等と3等に入選した。また、この雑誌に日本語で何篇かの詩を発表している。李箱(イサン)というペン・ネームは、この頃、日本人が彼を「李さん、李さん」と呼んだことにちなんでいると言われる。
1933年喀血をし、そのため仕事をやめて黄海道白川温泉に行き養生する。ここで妓生の錦紅(クモン)と知り合う。帰京すると、鍾路1街に茶房「つばめ」を開業し、錦紅を呼び寄せて商売をさせた。李箱は髪も髭も伸び放題の奔放な生活を送っていた。茶房経営はうまくいかず、その後も幾度か挑戦したが、どれも失敗に終わった。
1934年7月24日から、朝鮮中央日報に「烏瞰図(オガムド)」という難解な詩が連載される。そのあまりの難解さゆえに、人々は物議を醸した。そもそも「鳥瞰図」の誤字のようなこの詩を見て、「ふざけている」「きちがいのたわごと」と人々の理解を得ることができず、30回の連載予定だったのが15回で打ち切られてしまった。「烏瞰図」の作者である李箱は、自分の文学的試図に対する社会の反応に挫折を感じる。しかし、李箱の詩は、「烏瞰図」の前から非常に難解で幾何学的であり、常識人の理解を逸していた。
李箱は、茶房経営で失敗し、次第に落ちぶれて行った。精神的にも衰弱し、それは「つばさ」や「逢別記」等にもうかがい知ることができる。
1936年夏、李箱は梨花女子専門学校出身(中退)のと結婚するが、生活はすでに破綻し、体は極度に衰弱していた。同年秋、李箱は忽然と東京へ赴く。東京を乞食のように彷徨いながら暮らしているところを思想不穏の嫌疑で西神田警察署に拘禁される。1ヶ月後に健康悪化のため釈放されるが、もう李箱には生きる力は残っていなかった。自己の死を悟ったかのように『終生記』を残して1937年4月17日午前4時、東京帝国大学附属病院の一室でレモンの匂いを嗅ぎながら27歳の生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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