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李 紹庚(り しょうこう)は中華民国、満州国の政治家・外交官。奉天派の政治家で、後に満州国で要人となった。 == 事績 == 1920年(民国9年)、ハルビン俄立高等商業学校を卒業する。その後、浜江道尹公署外交科長に就任した。1924年(民国13年)、東省特別区市政管理局副局長となる。1926年(民国15年)、東省特別区教育庁庁長となった。翌年3月から9月まで、署理駐ウラジオストク総領事をつとめている。1931年(民国20年)、中東鉄路理事長代理となった。 満州国成立後、李紹庚は中東鉄路督弁公署代理督弁、北満鉄路督弁兼理事長を歴任した。1935年(康徳2年)5月21日、交通部大臣に就任し〔「鄭総理辞表を捧呈 張景恵氏に大命降下」『東京朝日新聞』昭和15年(1935年)5月22日夕刊。〕、1940年(康徳7年)12月6日、阮振鐸と入れ替わりで駐日大使を命ぜられた〔「駐日満大使異動 李交通部大臣と入代り」『東京朝日新聞』昭和15年(1940年)12月7日夕刊。〕。1942年(康徳9年)9月28日、外交部大臣に就任し〔「共栄圏の重責完遂へ 満州国大臣全面更迭」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月29日。〕、1944年(康徳11年)12月16日、南京国民政府(汪兆銘政権)に対する駐華大使へ転じた〔「満州国大臣級異動」『朝日新聞』昭和19年(1944年)12月17日。〕。 満州国滅亡後、李紹庚は蒋介石の国民政府により逮捕された〔黒竜江省図書館特設ページ 「凝固的歴史-哈爾濱建築文化」-「建築背後的歴史-市政管理局」 〕。その後、李がどのように取り扱われたかは不詳である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李紹庚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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