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李諒祚[りりょう]
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・ 李 : [り, すもも] 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina
李諒祚 ( リダイレクト:毅宗 (西夏) ) : ウィキペディア日本語版 | 毅宗 (西夏)[きそう]
毅宗(きそう)は西夏の第2代皇帝。景宗李元昊の六男。 == 生涯 == 天授礼法延祚11年(1048年)、父景宗が兄の李寧明に殺害され、李寧明も父殺しの罪で処刑されたため1歳で即位した。そのため母親の没蔵太后とその実家の一族によって専横される。即位直後に景宗の喪中を狙って遼軍が来寇。第二次賀蘭山の戦いで西夏軍は大敗し、数多くの被害を蒙った。福聖承道4年(1056年)に母親の太后が殺害され、伯父(太后の兄)の没蔵訛龐が政務を執る。その5年後、訛龐親子と訛龐の娘である皇后の殺害に成功した。これにより、梁氏を皇后にしてようやく親政が始まった。大臣や官僚の数を多くして政治体系を中央集権制に近づけ、皇帝軍の戦力を増強。その結果、政治は刷新されて国力は増強したが、突然病死した。享年21。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毅宗 (西夏)」の詳細全文を読む
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