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李道玄 : ミニ英和和英辞書
李道玄[りどうげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李道玄 : ウィキペディア日本語版
李道玄[りどうげん]
李道玄(りどうげん、604年 - 622年)は、中国宗室。河南王李贄の子。唐の高祖李淵の従兄の子にあたる。
==経歴==
618年、唐が建国されると、淮陽王に封ぜられた。15歳にして、秦王李世民に従って介州で宋金剛を攻撃し、その先頭に立った。王世充に対する征戦にも従い、多くの戦功を挙げた。621年竇建徳が虎牢に駐屯すると、李世民は軽騎で竇建徳の軍を挑発し、李道玄は道の左に伏兵を布いて敵の前進を待ち、敵軍の側背を襲って破った。汜水に転戦して、南坂を登り、敵陣に突入してその背後に回り、また引き返すと敵は総くずれとなり、李世民を喜ばせた。敵と戦うたびに、身に矢を受けたが、戦意はますます旺盛であったといわれる。洛陽が平定されると、洛州総管となった。府が廃止されると、洛州刺史となった。622年、山東道行軍総管となって劉黒闥と戦った。
6月、劉黒闥が突厥の支援をえて再び乱を起こすと、李道玄は史万宝を率いて下博で戦ったが、史万宝と協調できず敵中に深入りして戦没した。19歳であった。左驍衛大将軍の位を追贈され、を壮といった。
子がなく、弟の李道明が王位を継いで、左驍衛大将軍となった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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