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李道玄(りどうげん、604年 - 622年)は、中国の唐の宗室。河南王李贄の子。唐の高祖李淵の従兄の子にあたる。 ==経歴== 618年、唐が建国されると、淮陽王に封ぜられた。15歳にして、秦王李世民に従って介州で宋金剛を攻撃し、その先頭に立った。王世充に対する征戦にも従い、多くの戦功を挙げた。621年、竇建徳が虎牢に駐屯すると、李世民は軽騎で竇建徳の軍を挑発し、李道玄は道の左に伏兵を布いて敵の前進を待ち、敵軍の側背を襲って破った。汜水に転戦して、南坂を登り、敵陣に突入してその背後に回り、また引き返すと敵は総くずれとなり、李世民を喜ばせた。敵と戦うたびに、身に矢を受けたが、戦意はますます旺盛であったといわれる。洛陽が平定されると、洛州総管となった。府が廃止されると、洛州刺史となった。622年、山東道行軍総管となって劉黒闥と戦った。 6月、劉黒闥が突厥の支援をえて再び乱を起こすと、李道玄は史万宝を率いて下博で戦ったが、史万宝と協調できず敵中に深入りして戦没した。19歳であった。左驍衛大将軍の位を追贈され、諡を壮といった。 子がなく、弟の李道明が王位を継いで、左驍衛大将軍となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李道玄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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