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李部王記 : ミニ英和和英辞書
李部王記[り, すもも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [き]
 (n,n-suf) chronicle

李部王記 ( リダイレクト:吏部王記 ) : ウィキペディア日本語版
吏部王記[りほうおうき]
吏部王記(りほうおうき/りぶおうき)は、醍醐天皇第四皇子重明親王の日記で、平安時代中期の政務や朝儀を理解する上での重要な史料である。
本書は、重明親王の極官が式部卿であったため、式部の唐名「吏部」に因んで名付けられた。本書の書名は、『李部王記』『吏部記』『李部記』『重明親王記』『重明記』『重記』等多数の記載方法がある。
本書は逸文しか残っていないが、これらを蒐集すると、延喜20年(920年)正月14日条から、天暦7年(953年)2月23日条までの34年間に亙って記録されていることがわかる。ただ、これはあくまでも逸文蒐集によって得られた結果であるため、正確なところは明瞭でない。日記終了の下限とされる天暦7年2月23日は、親王薨去の1年6ヶ月前(親王は天暦8年9月14日に薨去)であるため、その間の日記が存在しなかったとは考えがたい(同時代の公卿で親王の舅でもある藤原師輔は、薨去2日前まで日記を筆録している。詳しくは『九暦』の項を参照のこと)。『北山抄』によると「見吏部王(重明親王)天暦七年菊合日記」(括弧は筆者註)とあり、天暦7年の菊合の御遊は、10月13日に行われている(『古今著聞集』)。これらのことから、親王は天暦7年10月13日迄日記を筆録していたことがわかるが、いつを下限とするかは明確ではない。
刊本について、古代学協会編『吏部王記』(史料拾遺3、臨川書店、昭和44年〈1969年〉)や、米田雄介・吉岡真之編『吏部王記』(史料纂集、続群書類従完成会、昭和49年〈1974年〉)が、本書の逸文を収録した活字本である。
      



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吏部王記」の詳細全文を読む




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